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2010年4月10日土曜日

☆Sir Daniel M Rooney アイルランドを変えた男☆



2009年7月3日、アイルランド共和国のメアリ-・マカリ-ス大統領は米国からやってきた一人の男と握手を交わした。


彼の名前は、Daniel M Rooney


アイルランドに興味があるのであれば


必ず覚えておくべき名前だ。






アメリカ合衆国 アイルランド全権大使

アメリカプロフットボウル(NFL) ピッツバ-グスティ-ラ-ズオ-ナ-

アメリカとアイルランドの発展に最も寄与した人

影のノ-ベル平和賞受賞者






彼を表現するにはあまりに偉大すぎていくら紙があっても足りないくらい・・・





さて、このときは米国の全権アイルランド共和国大使としてメアリ-大統領に
宣誓をしにダブリンに来たのである。
ここでアメリカ全権大使がどう、アイルランドと関わりがあるのか興味が湧くところ・・・

ル-ニ-氏の人生の歴史はアイルランドの歴史でもある、ということを
わかりやすく簡潔に記したい。







ル-ニ氏は劣悪な経済環境に苦しむアイルランド移民の家系である

Art Roony Sirを父として生まれた。


最初にアイルランドを訪ねたのが1971年

アイルランドへの祖国への愛情はこの時からはじまったとされる。






971年と言えばアイルランドはどのような世相であったのであろうか?

1969年から30年以上、激しいテロや血を流す暴力によって

3000人以上の犠牲者を出した

「北アイルランド紛争」

簡潔に言って北アイルランド紛争とは

地域人口の約40%を占める

カトリック系住民が「アイルランド帰属」を求め、英国領土の現状を守ろうとする

多数派のプロテスタント住民と対立し続けてきた

英国とアイルランドの

怨念を背景にした世界的紛争である。

いまだに

「あ、アイルランドってテロがあって危険なところでしょ」

という人がいるのはここに起因する。





1970年初頭、ル-ニ-氏は家族に会いにアイルランドのニュ-リ-という町を訪ねる

ここはアイルランドと北アイルランドの「国境の町」・・・

そこで彼が見た光景は惨憺たるものであった


容赦のない暴力、片腕が爆弾でとれた婦人や子供、あらゆる手段で破壊された町・・

爆薬の異臭に覆われた町、血の臭いが漂う町

殺気だった市民の虚ろな表情・・・・

その光景は、続いて訪ねたベルファスト・デリ-でも同じものだった


彼の心には大きな傷がつき、変革への決意が決心された瞬間だった





ル-ニ-氏は今でこそアメリカスポ-ツ界の巨人

アイルランド和平・発展への惜しみない尽力者

として世界にその名をしられているが、彼のスタ-トは家族とはじめた

小さなPOP SHOP

もともと私心がなくリベラルな発想で汗を流すことを苦としなかった。

ル-ニ-氏はアイルランドで何千人もの低所得労働階級者とともに汗を流し

そして和平・寛容の大切さを市民と対話してきた「粘りの人」であり

ジョンヒュ-ムやデイビットトリンブルといった政治リ-ダ-との議論を交わした。






ジョン・ヒュ-ムの名前も覚えておくべきであろう。

北アイルランドを代表する政治家

ジョンは北アイルランドのデリ-で生まれた。

当時は英国統治下のもとカソリックに対するあからさまな

「差別」で

まともな雇用、まともな住居もままならなく苦しんでいた

詩人の同級生と出会い、司祭になるための勉学を始めたが途中でやめ

故郷で教師になった

北アイルランド紛争の当時、市民権運動家として頭角をあらわし

ル-ニ-氏や同じくデイビットトリンブル氏とともに

市民に対しての、争いの無意味さを説き

のちのアイルランド和平プロセスに最も多大な貢献をした。

ジョンヒュ-ムの枕にはマ-チ-ル-サキングJr等の本があったという。





暴力につつまれたベルファスト

そんななかでもジョンは決して手をあげることのない

生粋の和平市民運動の立役者であった・・・







のちの1985年英愛合意・1998年のベルファスト合意など

和平への多大な功績が世界で認められ



ジョンヒュ-ムとデイビットトリンブルは


1998年


ノ-ベル平和賞受賞




当然その背景には



Sir Daniel M Rooney の多大な尽力があったことを忘れてはならない
















アメリカで最強のプロフットボ-ルチ-ム

「ピッツバ-グスティ-ラ-ズ」を作り上げたル-ニ-氏


リ-グに根付く差別をなくすため

アフリカンアメリカンのコ-チ登用へのフェアなシステム

「Rooney Rules」

など導入するなど、その活躍は衰えることがない














今日、ここで紹介したことは


彼らの成したことのほんの少しにしか過ぎない。


ただ、現在世界からツ-リスト・企業が数多く訪ねる


緑豊かなアイルランド共和国が存在するのも


ル-ニ-氏の渾身の努力があったことは忘れてはいけない・・・・

「争いの絶えない紛争国家」から「世界一豊かで住みやすい国」へ

劇的な変貌を遂げたアイルランド共和国

その主人公はSir Daniel M Rooney

ぜひ忘れないでいただきたい・・・




「アイルランドに栄光あれ」・・・・










PHOTO SPECIAL THANKS  Falite Ireland 2010








2010年4月8日木曜日

ニュ-ブログ「The Irish Today」創刊!よりアイルランドを楽しく!より世界を身近に!




無事、セントパトリックスデ-パレ-ド東京が終了し、約1カ月が経過しております。

皆様こんにちわ!アイリッシュネットワ-クジャパン公式ブログ

「The Irish Today」がスタ-ト致します。

桜が咲き、新たな生活の始まり・・・この時期にスタ-トできるのは幸福です(*^_^*)

今までの「Count Down セ・ン・パ・レ」は

まさにセントパトリックスデ-パレ-ドを盛り上げるブログだったわけですが

アイルランドを楽しく伝えていくシ-ズンブログとしては

こちらが旗艦情報センタ-となります。





さて新たな企画をスタ-トするのはいいのですが、

「どういう方針でいこうか」とワンコと遊びながら考えました。


お固く時事ニュ-スを知りたければRTEのサイトが良いし

やわらかいノリのブログではアイルランド本国に失礼か・・・

やはりそこは原点に立ち返り、私が初めて訪れたアイルランドの事を思いだしました。

もう10年以上も前の話になります・・・・




英国ロンドンヒ-スロ-国際空港から、約1時間ちょっと

見えてきたのはダブリン国際空港です。


今でこそ当たり前ですが、初めてのこの旅で感じたのは・・・


・・・・・「飛行機が全部ミ・ド・リ・・・・・(ーー゛)」











Midoriと言っても光のモノグラムで様々な「緑」があるのですが


うーーーん、エアリンガスの緑は・・・・







そう、常磐線の「緑」・・・エメラルドグリ-ンと同じ緑でした!


しかも大地がとにかく


緑が多い


ということでした。






最近行ったエアリンガスの空港内にある間接LED照明も「緑」


・・・・・感動しました・・・・







勿論バスエ-ランの案内ボ-ドも「緑」

ゲ-ル語表記もあります




しかしこの国の本当の美しさは「緑」もさることながら


違うところにあるように強く思えたのです・・・それは








緑と対峙して、このアイルランド共和国の大地を装飾をする


「空」の色なのです・・・













ディングル半島の最先端で見た空


地球は丸いということを優しく教えてくれるかのように

球体のソラ、深い蒼い色をしたソラ、どこまでも続くソラ・・・

Posted by Picasa



このソラが私の人生においてとっても大切なので

ブログの背景には大空が映えるサンセットオ-シャンを全面的に採用させていただきました。

コンセプトはこういうご時世ではありますが


「とにかく楽しく、気楽に眺めるほろ酔いブログ」といったベクトルで制作してまいります。



そこでご挨拶代わりに・・・現在のアイルランド社会を映す鏡・・・


そう、広告で「プ!」と笑ってしまったアイルランドでみつけた広告をいくつか・・・・




まず、アイルランドと言えば、コ-ブ港で知られる


映画「タイタニック」ですが


ダブリンに行く際、中継空港のオランダスキポ-ル空港で見つけたこの広告・・・








・・・ハラ抱えてウケすぎて機内では体調を崩したウイット広告です(*^_^*)・・・・


シネマコンプレックスの広告みたいデスネ!







私のなかでの昨年の広告大賞です!

可愛くてユ-モアがあって大好きです!


いいセンスしています。

(ペディグリ-チャムライト







・・・・・・面白い・・・・・







・・・サイコ-!(^^)!・・・




しめはアイルランドらしく・・・






・・・このジョ-クわかりますよね・・・


まずはジョ-クでニュ-ブログはスタ-トです!!!