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2015年8月31日月曜日

“The Open Mind of Patrick Lafcadio Hearn ―HOME COMING―”Special Edition~小泉八雲、アイルランドに帰る~




はじめに

このたびは、曽祖父パトリック・ラフカディオ・ハーンの祖国アイルランドの3都市で記念事業が開催されますことを、大変嬉しく思います。ギリシャ生まれのハーンは2歳の時に父チャールズの実家のあるダブリンにやって来て、多感な子供時代をアイルランドで過ごしました。よく訪れたウォーターフォード県のトラモアやメイヨ県のコングでは、ケルトの伝統文化にも触れ、乳母キャサリンの語る妖精譚や怪談に胸をときめかせました。その体験が後年の日本文化の本質的な理解を助けたことは言うまでもありません。

記念事業の総合テーマは“The Open Mind of Patrick Lafcadio Hearn -- Coming Home --”。 「オープン・マインド」こそラフカディオ・ハーンの精神性の中核であり、同時にそれは21世紀の世界が必要とする思考だととらえ、私たちは、2009年からこのテーマで造形美術展やシンポジウムなどを、ほぼ毎年ゆかりの各地で開催してきました。昨年、ギリシャのレフカダで行った国際シンポジウムでは、境界的、トランスナショナルな立ち位置を持つハーンは、誤解や怒りや偏見も否定しないまま、常に新しいもの、違ったものに対して興味をもって近づいたことでオープン・マインドが育まれた。子どもたちに常に新しい道を開く場を提供していくことが大切であることを確認しました。

このたびのアイルランドでの催しは、そのような記念事業のひとつの終着点と位置付けています。ダブリン・ウォーターフォード・ゴールウェイの3都市で佐野史郎さん、山本恭司さんによる小泉八雲朗読ライブ、またダブリンのダブリン・リトル・ミュージアムではアイルランドではじめての本格的なハーンに関する企画展やシンポジウムを開催していただくことになりました。国立ダブリンシティー大学でも、同じ時期にハーンに関するレクチャーが行われます。6月にトラモアにオープンした小泉八雲庭園には松江市が寄贈するハーンのレリーフが設置されます。

多くの皆様のお越しをお待ちしております。



小泉凡

(島根県立大学短期大学部教授・小泉八雲曾孫)
                                                              


Special Thanks(取材協力)

Sanin Japan-Ireland Associacion
Bon Koizumi
Shoko Koizumi 

The Little Musem of Ireland
Lafcadio Hearn Gardens Tramore
Lafcadio Hearn Memorial Museum
Yoshimi Hayakawa(WaCafe,Galway) 
Junji Mizutani (Translator)


Blog Supervisor(監修)

Shoko Koizumi
The Open Mind of Lafcadio Hearn Project Director
Lafcadio Hearn Reading Performance Producer


Photo Special Thanks

Fáilte Ireland


The Irish Today Ireland Tour Car‐Rental Agent 

Hertz®



アイルランドでの八雲イベント情報満載
Lafcadio Hearn Gathering in Ireland Event Guide
~Check out events happening nationwide~

Lafcadio Hearn Gathering in Ireland | October 2015










How Patrick Lafcadio Hearn travelled around the world for 150 years, before making his mark in Waterford

John Moran










「パトリック・ラフカディオ・ハーンが世界中を旅した150年の軌跡~ウォーターフォードにその名を刻むまで」
パトリック・ラフカディオ・ハーンは、おそらく生まれ故郷より日本での知名度が高いが、トラモアに新設されたメモリアルガーデンのおかげで、その認知度を高めつつある。
「彼は我々の言語においてハンス・クリスチャン・アンデルセンやグリム兄弟と比肩するにふさわしい作家である。」‐米文学歴史家マルコム・カウリー
19歳でこの海岸からアメリカへ渡ってからほぼ1世紀半の年月を経て、パトリック・ラフカディオ・ハーンはおそらくアイルランドで最も重要な年を迎えることとなる。バラエティに富み、エキゾチックで、時には難解な彼の作品テーマは、彼の歩んだ長旅とドラマチックな人生経験の物語とぴったり一致していた。 6月26日、ラフカディオ・ハーン・メモリアルガーデンが、ウォーターフォード県トラモアにオープンする。これは、ずっとなおざりにされていた作家を称えるための、アイルランドで初めての大規模で永遠の記念碑である。彼はアイルランドでパトリック・ハーンとして父親の家族に養われた。しかし、他のヨーロッパの国々やアメリカでは、ラフカディオ・ハーンとして良く知られている。また、日本では小泉八雲として国籍を取得、結婚し、家族を養った。ここで彼は第二の祖国・日本の文化と民俗学に関して14冊の本を書き上げ、今日に至るまで日本で最も著名なアイルランド人としてあり続けている。アイルランド人の視点から、我々が失った文学者の54歳という早すぎる死において最も残念な点は、ハーンが晩年において、次第にアイルランドでの自身の生い立ちに興味を抱き、回想録に関してある作品を書きかけたが、日の目を見なかったことだ。 その一方、他の作品や手紙の中で、彼はアイルランドでの自身の生い立ちと英国留学の重要さを明確に示している。 ダブリン・ラスマインズでの幼少期、ウォーターフォード県トラモアやメイヨー県コングでの休日、北英ダラム州アショーのエリート校セント・カスバート・カトリックカレッジでの4年間の寮生活において、ハーンの後々の関心の種が数多く蒔かれた。これには19世紀フランスの巨匠ゴーティエ、モーパッサン、フローベールらの翻訳、海・異文化・民俗学に関連するテーマの作品、宗教と哲学に関する作品、とりわけゴシックや三大陸におけるゴーストの無数の物語が挙げられる。 ハーンのアイルランドでの幼少期は、世話役の女性と過ごす時間が大半で、大きな影響を受けた。母・ローザ、出身はギリシャのラフカダ島(後にハーンのセカンドネームに付けられた)、大叔母で後見人のサラ・ブレナン、叔母のキャサリン・エルウッドとジェーン・ステファンスは、英国軍の軍医少佐で不在がちだった父・チャールズ・ハーンの姉妹である。 しかし、最も影響を与えた女性は、乳母のキャサリン・“ケイト”・ローナンだろう。アイルランド・英国在住期間を通して彼の面倒を見ており、ゴースト話やアイルランド民話を聞かせ、子守唄を歌った。ハーンは日本からW.B.イェーツへ宛てた手紙において、ダブリンでの幼少期についてこう記している、「私にはコノートの乳母がいて、妖精やゴーストの話を私に良く聞かせてくれた。だから私はアイルランドのことを愛すべきであり、現に愛している。」彼女は、アメリカ、西インド諸島、日本などハーンが旅したあらゆる場所について書いた作品における一般的な働く女性の見本となっていたと思われる。 ハーンのメイヨー県コングとの繋がりは強いものだ。コングは怪談に収録された物語『ひまわり』のロケーションとなった。『怪談:怪奇文学作品集』は、おそらくハーンの最も不朽な日本の作品である。日本で人生の最期を迎える少し前に、ハーンは少年の頃、コングで従兄弟のロバート・エルウッドと遊んでいた時に遭遇したある出会いについて記している。地元ミュージシャンのダン・フィッツパトリックが、ストランドヒルと呼ばれるエルウッド邸に到着し、ハープを弾き、トーマス・ムーアの『春の日の花と輝く』(原題:Believe Me, if All Those Endearing Young Charms)を歌った。怪談のひまわりの題名はここから付けられている。ハーンは『ひまわり』を従兄弟のロバートとの思い出として書いた。 後にロバートは、船外へ落ちた船乗りを救おうとして南シナ海で命を落とした。ハーン自身は、『怪談』が出版されたその年に亡くなった。それが彼の最後に出版したアイルランドの思い出だった。
近年再出版された作品があるが、それはハーンが26歳の時、1876年にシンシナティ新聞の警察番記者を担当していた頃に書いた別のアイリッシュ関連の物語だった。『Gibbeted(絞首刑)』はハーンの新たなジャーナリズム開拓の好例で、アイルランド人少年ジェームズ・マーフィーのずさんな絞首刑の目撃記事だった。この記事は、『トゥルー・クライム』(2008年出版、原題:True Crime: An American Anthology)に掲載された。『トゥルー・クライム』はライブラリー・オブ・アメリカ社発行の、19・20世紀を代表するアメリカ犯罪ドキュメンタリーの短編集である。
ハーンは2歳から少なくとも13歳までダブリンで生活した。ハーン家の記録は現在ほとんど残っていないと思われるが、我々が確かに知っているのは、ハーンが19歳の時、1896年にアメリカへ向けて出発する直前までダブリンにいたことだ。アッパー・リーソン・ストリートにある彼のベッドルームは特に重要で、ここで彼は恐ろしい悪夢に耐えた。それは後に彼のゴシックを題材とした作品の中で描かれている。ハーンの伝記作家第一人者であるポール・マレーは、『ゴシック・ホラー:ハーンに刻まれたダブリンの呪い』(原題:Gothic Horror: The Dublin Haunting of Lafcadio Hearn)において、こうしたテーマの記事をまとめている。ゴシック・ホラーは最近戯曲化され、ダブリン・シェイクスピア協会により上演された。10月にはダブリン・リトル・ニュージアムでの展示会「帰郷:オープン・マインド・オブ・ラフカディオ・ハーン」にて再上演が予定されている。
トラモアでの休日において、ハーン少年はゴシックとゴースト的なテーマへの関心を膨らませた。また、彼の海に対する不変の興味は、トラモア・ベイを見下ろす海に隣接した岬に立つメタルマン像にまつわる悲劇の物語が火付け役となったと思われる。メタルマン像は、300人以上の英国兵とその家族の命を奪った部隊輸送船・シーホース号沈没の悲劇を繰り返さないために、船乗りたちへの警告として19世紀初期に設置された。ハーン小説の一つ『チータ』(原題:Chita: Memory of Last Ireland)の一節は、ライブラリー・オブ・アメリカ社の短編集『アメリカン・シー・ライティング』(2001年出版、原題:American Sea Writing: a Literary Anthology)に掲載されている。ディーゼとの思わぬ繋がりもある。1869年、ハーンが単身アメリカへと移住した時、ウォーターフォード市に隣接するペガサス造船所で作られた定期船・セラの乗客となったのだ。
ハーンの命を呼び戻すであろう、約10,000平米に及ぶガーデンの建設は、トラモアへの一通の招待状がきっかけだった。当時のトラモア町長ジョー・コンウェイ氏は長年のハーン活動家であり、2012年にハーンの曾孫・小泉凡さんと妻の祥子さんを招待したのだ。二人の訪問中、地元女性のアグネス・エイルワードさんはメモリアルガーデンの構想を思い付いた。そして専門家チームとの彼女の取り組みは結果的にエンダ・ケニー首相と日本の安倍晋三総理との協議に至らせ、万博記念基金(JECFUND)による資金提供をもたらした。
金曜日に行われるラフカディオ・ハーン・メモリアル・ガーデンズのオープニングに出席する多数の要人の中に、小泉凡・祥子夫妻、渥美千尋アイルランド駐箚特命全権大使、ブレンダン・ハウリン・アイルランド公共支出・改革大臣、ローラ・オーサリバン・ウォーターフォード・メトロポリタン地区長らが並ぶだろう。







How Patrick Lafcadio Hearn travelled around the world for 150 years, before making his mark in Waterford

John Moran


Patrick Lafcadio Hearn, who is perhaps better known in Japan than the country he was born in, is finally getting the recognition he deserves thanks to Tramore’s new memorial gardens

“He is the writer in our language who can best be compared with Hans Christian Andersen and the brothers Grimm”

- US literary historian Malcolm Cowley


Almost a century and a half since he left these shores for the US at the age of 19, Patrick Lafcadio Hearn is set to have perhaps his most significant year in Ireland. The eclectic, exotic and at times esoteric subject matter of his writing was only matched by the story of his distant travels and dramatic life experiences.

On June 26th, the Lafcadio Hearn Memorial Gardens in Tramore, Co Waterford will be opened. This is the first major, and permanent, memorial in Ireland to celebrate this much-neglected writer. He was raised in Ireland by his father’s family as Patrick Hearn; but is better known in the rest of Europe and the US as Lafcadio Hearn; and he took up citizenship, married and raised a family as Koizumi Yakumo in Japan, where he wrote 14 books on his adopted country’s culture and folklore, and where to this day he remains Japan’s best-known Irishman.

From an Irish perspective, one of the great pities of our lost literateur’s untimely death at the age of 54 is that in his final years Hearn had become increasingly interested in his Irish upbringing and had carried out some tentative work on a memoir, which did not to materialise. However, in some of his other work and letters he clearly revealed the significance of his upbringing in Ireland and his studies in England.

The seeds were sown for much of Hearn’s later interests during his boyhood years in Rathmines, Dublin, while on holidays in Tramore, Co Waterford, and Cong, Co Mayo, and during his four years at boarding school in the elite St Cuthbert’s Catholic College in Ushaw, Co Durham, in northern England. These included translations of 19th-century French masters Gautier, De Maupassant and Flaubert; his writing on themes connected to the sea, other cultures and their folklore; on religion and philosophy; and especially for his innumerable tales of the gothic and ghostly in three continents.

Hearn’s early years in Ireland were largely spent in the care of women of considerable influence: his mother Rosa, from the Greek island of Lefkada (after which his second name was taken); his grand-aunt and guardian Sarah Brenane; and his aunts Catherine Elwood and Jane Stephens, sisters of his usually absent father, Charles Hearn, who was a staff-surgeon in the British army.

But perhaps the most influential woman of all was his nurse, Catherine “Kate” Ronane, who cared for him throughout his period in Ireland and England, told him ghost stories, Irish folk tales and sang lullabies. In a letter to WB Yeats from Japan, he wrote that, while growing up in Dublin: “I had a Connaught nurse who told me fairy-tales and ghost stories. So I ought to love Irish Things, and do.” She is likely to have been the prototype of the ordinary working women he wrote about everywhere he travelled, in the US, the West Indies and Japan.

Hearn’s connection to Cong, in Co Mayo, is a strong one. The town provided the location for a story, Hi-Mawari (Sunflower), which appeared in Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things, perhaps his most enduring Japanese work. Towards the end of his life in Japan, Hearn wrote of an encounter he had as a boy in Cong while playing with his cousin, Robert Elwood. A local musician, Dan Fitzpatrick, arrived at the Elwood residence called Strandhill, to play his harp and to sing Thomas Moore’s Believe Me, if All Those Endearing Young Charms, from which the Sunflower title of the Kwaidan story is taken. Hearn wrote the story as a memorial to his cousin Robert who later drowned in the South China Sea while trying to save a sailor who had fallen overboard. Hearn himself would die the year Kwaidan was published. It was his last published memory of Ireland.

Re-published in recent years, however, was another story of Irish interest, which Hearn wrote as a 26-year-old while covering a Cincinnati newspaper’s police beat in 1876. Gibbeted, a fine example of his pioneering New Journalism, was his eyewitness account of the botched hanging of an Irish boy, James Murphy. It was included in True Crime: An American Anthology (2008), a collection by the Library of America of the best American crime stories of the 19th and 20th centuries.

Hearn lived in Dublin from the age of two until at he was at least 13. Although it seems that most of the Hearn family records are now lost, we do know he was in the city up until shortly before his departure for the US in 1869 at the age of 19. His bedroom in Upper Leeson Street was of particular significance in that here he endured the terrible nightmares that later featured in his gothic material. His leading Irish biographer, Paul Murray, has collected his accounts of these themes in Gothic Horror: The Dublin Haunting of Lafcadio Hearn, performed recently in dramatised readings by the Dublin Shakespeare Society, and which is expected to be performed again in October at an exhibition, Coming Home: the Open Mind of Lafcadio Hearn, at The Little Museum of Dublin.

On holidays in Tramore as a boy, Hearn developed his interest in gothic and ghostly subjects. And his abiding interest in the sea was likely to have been sparked by the tragic story behind the Metal Man statue, which stands on a promontory abutting the sea overlooking Tramore Bay. The statue was erected in the early 19th century as a warning to sailors to avoid the bay following the sinking of the Sea Horse troop carrier, with the loss of the lives of more than 300 British soldiers and their families. A section of one of Hearn’s novels, Chita: the story of Last Island, is included in the Library of America’s collection American Sea Writing: a Literary Anthology (2001). There’s a serendipitous Deise connection, too, in that when Hearn emigrated alone to the US in 1869, it was as a passenger on the Cella, a liner built at the Pegasus Shipyard in nearby Waterford City.

The construction for the almost 10,000sqm gardens, which will recall Hearn’s life, came about following an invitation to Tramore by the town’s then mayor Cllr Joe Conway, a long-time Hearn activist, to Hearn’s great-grandson Bon Koizumi and his wife Shoko, in 2012. During that visit, local woman Agnes Aylward came up with the idea for the gardens, and her work with a team of experts culminated in discussions between An Taoiseach Enda Kenny and the Japanese Prime Minister Shinzo Abe, which resulted in funding from the Japan Cultural Foundation.

Among the many dignitaries attending Friday’s opening of the Lafcadio Hearn Memorial Gardens will be Bon and Shoko Koizumi, the Japanese Ambassador to Ireland Chihiro Atsumi, the Minister for Public Expenditure Brendan Howlin, and Cllr Lola O’Sullivan, Mayor of the Metropolitan Waterford Area.
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making his mark 跡[足跡・印]を付ける[残す・刻む]
getting the recognition 認知度を上げる
eclectic バラエティに富んだ、多岐にわたる
esoteric 難解な
distant travels 長旅
much-neglected writer ずっとなおざりにされた
adopted country 第二の祖国
folklore 民俗学
untimely death 早すぎる死
memoir 回想録
upbringing 生い立ち
innumerable 無数の
gothic ゴシック
surgeon 軍医
lullabies 子守唄(複数形)
encounter 出会い
police beat 警察番記者
eyewitness account 目撃記事
anthology 短編集
endure 耐える
biographer 伝記作家
dramatized 戯曲化される
abiding 不変の
promontory
be erected 設置される
troop carrier 部隊輸送船
culminate 結果として~に至る
Taoiseach 首相(アイルランド)
Dignitaries 高官(複数形)
Cllr 議員:councillorの略























What’s the craic? 天気は悪いが今日も元気!
わかふぇよしみのゴールウェイ徒然草 vol 41


「ケルト口承文化~ストーリーテラー」

みなさま、お久しぶりです! わかふぇのよしみです。夏も終わりに近づき、また出てきました。 2015年、今年のゴールウェイには夏が来ませんでした。(苦笑) 4月頃に「おお、今年は夏の訪れが早いわね?」なんて思わせぶりな気候になったものの、そのあとずっとぐずぐずした天気が続き、ぱぁっと晴れる時間(・・・「日」ではありません。「時間」。笑)も極端に少なく、某ブランドのウルトラライトダウンジャケットがずっと手放せない夏となりました。 そんな冷夏のゴールウェイ、わかふぇで今年もまた楽しい出会いがいくつかありました。 ここにいるとこういうことが起こるので楽しいです。日本では絶対会えない人に会えますね。 数々のお客様の共通点から考えると、今年の夏のテーマはどうやら「ゲールタクト」「口承文化」「精霊」だったようです。 これらのお客様たちとお話しすることにより、更なるアイルランド西地区への理解が深まった気がします。






今日はそのお客様のうちのお二人とのエピソードを書きたいと思います。 小泉凡さん Lafcadio Hearn(小泉八雲)の曾孫であり、現在、島根の大学で教鞭を取る民俗学者です。今年10月にアイルランド3か所で行われるイベントの下見もかねてゴールウェイにいらした折、イベント関係者とのミーティングをセッティングしたのですが、ほうぼうでの関係者との面談の際、ふとした話から次に行くべき場所が暗示され、そこへ行ってみると何かが待っている、、、という不思議な経験をしました。 アイルランドにいるとたまにこういう経験をします。 万物に精霊の存在を認め、そして文字をもたなかったケルト民族であるアイルランド人は会話によってものごとを動かす力、精霊の力を借りる能力を持っているのでしょうか。

凡さんとのことで言えば、まずライブコンサートの会場を提供してくれるKings Head Pubのオーナーに会いに会った際,オーナーのポールがLafcadio Hearnの教育係だったCatherine Costelloがコナート地方の出身だったことに目をつけ「そういえば、コネマラの方に「Costello (アイルランド語でCasla 「海の入り口」という意味。)という場所があるよ。」と教えてくれました。 Lafcadio Hearnのベビーシッター&教育係だったというアイルランド西部コナート出身のキャサリン・コステロは、ケルト民族の伝統、オーラル・コミュニケーションをしっかり身に付けていたのでしょう。 ハーンを連れてトラモアやウェールズなどに出かけた時、Hearnにコナートに伝わるおとぎ話や怖い話を話して聞かせたそうです。そしてそれが後々Hearnが残すことになった作品に大きな影響を与えました。





次の日、「アイルランド語で生活している家庭にはお邪魔したことがないですね~。」という凡さんと奥さまの祥子さんをお連れしてゲールタクトのスピドルという所に住んでいる友人を訪ねました。 その出発前アイリッシュミュージックをやっているデュオでわたしの友人でもあるマレカ&ジュンジの2人が「Costello」村にまつわるアイリッシュミュージックがあるよ、ということで「Carraroe」を奏でてくれ、サプライズのお見送りとなりました。 スピドルの日本人の友人の旦那さんOisin(オシン)はゲール学校で教える先生です。 ゲールタクトでは、道路標示もアイルランド語のみ。アイルランド語のみで生活をしている家庭も多い地域。 家を訪れると、オシンは私たちを家に招き入れ暖炉の近くのソファを勧め、自ら焼いて待っていてくれたというスコーンにジャムとクリームをたっぷりとのせて、熱いお茶を入れ、私たちを歓待してくれました。






10月のイベントの話のついでに昨日Kings Headで聞いた話をしてみました。そうしたら、オシンが「僕のおばあちゃんもキャサリン・コステロという名前だった。」「この辺一帯はは昔からコステロ一族がたくさん住んでいた場所なんだよ。」 「もう亡くなったけど、おばあちゃんは地元でも有名なストーリーテラーだったんだ。」 ぞぞぞぞ、としました。 もしかして、もしかしたら・・・!? もしかして、Hearnの教育係だったCatherine Costelloはこの辺の出身だったのかもしれませんね・・・。 そうだったんじゃないの~?という満場一致の空気感・・・。真実はわかりませんが。。。 おばあちゃんの話でひとしきり盛り上がった後、Lafcadio Hearnの話に戻りました。 日本ではとても有名な小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)ですが、実はアイルランド人にはあまり知られていません。 凡さんからいろいろLafcadio Hearnの話を聞いていたオシン、突然立ち上がり、「Welcome Home!」と凡さんに握手を求めました。 凡さんも立ち上がり、2人で固く握手をかわしました。 またまたぞぞぞぞ、と来てしまいました。


歴史的瞬間。
今回のアイルランドでのHearnイベントのサブテーマは「Coming Home」。祖国を捨て放浪の旅に発ったLafcadio Hearnの魂をもう一度アイルランドに迎えてあげよう。そしてLafcadio Hearnというアイルランドを代表する文学者の存在をアイルランド国民に知ってもらおうということがイベントの主旨です。 何も知らないアイルランド人しかもアイルランド語しゃべる生粋のアイリッシュからの「Welcome Home!」 何という歴史的瞬間!
いままさしくCatherine Costelloの魂がオシンを介して、Lafcadio Hearnの魂が凡さんを介して、戻ってきているような気さえしました。 「おかえり。苦労したねぇ。旅はどうだった?」と優しく労をねぎらっているかのように。。 その後は自然と暖炉を囲んでのストーリーテリングセッションのようになりました。 「僕はストーリーテラーじゃないし、話もあまり知らないし。。。」という割にはオシンは地元に伝わる怖い話やおばあちゃんの話、音楽の話し、次々と話してくれました。








そして、凡さんは部屋にあったピアノで、「これはハーンが好きで弾いていたという曲です。」と弾き始めました。 みんなで暖炉を囲んで、お話を聞いて、音楽のセッション、これぞ「Theアイルランド西部の普段の暮らし」という感じになって来て、夜更けまで話が弾みました。 帰りの車の中で凡さんが「ケルト神話にオシンという男の人が出てくるのですが、本当にある名前なんだな、と感動しました。。。」とおっしゃっていました。






















次、この夏のお客様第2段は、高畑吉男さん。 お友達と2人でふらりとお店に来ていただいていたのですが、よくよく話をしてみると、なんと、「ストーリーテラー」だというではありませんか!! なんてことでしょう! 「私、ストーリーテラーを探していたんですよ!」「もうこれは運命ですよ。」と話が盛り上がりました。 10月のLafcadio Hearnイベントはダブリン、トラモア、ゴールウェイと3か所で催されるものの、Hearnと直接ゆかりのないゴールウェイでは何かスペシャルなものを用意したい、とのオーガナイザーの要望に応えて「ゴールウェイ」「西部」「アイルランド語」「アイリッシュネス」といえば、これでしょ、考えた結果、他の会場ではやらない「ストーリーテリング」を盛り込むことになりました。 凡さん祥子さんを見送った後、どこかにストーリーテラーいないかなぁ?と探していた矢先でした。











高畑吉男さんは日本人、というかアジア人でも唯一の「アイルランド・ストーリーテリング協会」の認定会員だそうで、毎年夏にアイルランドに里帰りし、アイルランド語のブラッシュアップと新たなお伽話の収集をされているそうです。 残念ながら10月のLafcadio Hearnのイベントには参加できないそうですが、日本各地でお話しの会を催されているそうですので興味のある方は是非参加してみてください。







ひとつ吉男さんが言っていたことでおもしろいな、と思った事、自分のために書き留めておきたいと思います。 言語について。 「日本語は「我」が消える」you first 「英語は「我」が先にくる」me first 「アイルランド語は動作の後に「我」がくる」文法で言うと、アイルランド語は「動詞」→「主語」→「形容詞」 となり、アイルランド人は考える前に話しているだよ。。。と。
確かにそんな感じのアイリッシュはいっぱいいます。(笑) 話好きなアイリッシュがこうなったのも、長い長~いケルトの歴史の中で育まれてきたのだなぁ、と感慨深いです。 そのケルト文化がアイルランド語とともに消滅の危機に瀕しているのはとても残念なことです。 母国アイルランド、特にコナート地方ではアイルランド語の保護とともに、アーカイブを保存する運動にも力をいれています。 吉男さんには是非とも日本からアイルランド語の啓蒙、アイルランドのストーリーテリングの認知を高めるような後方支援をしていただきたい所です。(小泉八雲がやっていた反対のようなことですね。) その高畑吉男さんにコネマラのローカルのストーリーテラーについて書いていただきましたので、こちらもお読みください。
(編集部注:高畑さまのコネマラのローカルストーリーテラーについてはせっかくですので、後日そのコネマラからライブでコネマラの模様とともに掲載させていただく予定です)
夏は私にとってアイルランドの口承文化、アイルランド語、ゲールの精神性、についていろいろな角度から見る事知る事ができ、とても有意義なものになりました。


さて、あとは、10月のLafcadio Hearnイベントを大成功させるために、ラストスパートをかけていくのみです、 ゴールウェイでのイベントは以下の通りです。 10月12日(月) ギターリスト山本恭司さんのライブ。Kings Headにて 18:00- admission free

10月13日(火) 佐野史郎さん、山本恭司さんによる朗読の夕べ。Nuns Island Theatreにて 18:00- ticket 10ユーロ このイベントを手伝ってくれる方も大募集しておりますので、直接わかふぇに応募して下さい。 大成功!やるぞ。 えい、えい、お~~!









(アイルランド共和国現地 8/30ゴールウェイ電)








The Irish Today では今回の“小泉八雲アイルランドへの里帰り”の模様をブログ/ツイッター@injtokyoを中心に現地からライブでお伝えしていく予定です。