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2015年2月12日木曜日

寄稿『小泉八雲,アイルランドへの里帰り 』〜“The Open Mind of Patrick Lafcadio Hearn ―HOME COMING―” Written/Photo by Shoko Koizumi (小泉祥子)





―HOME COMING―




The Open Mind of Lafcadio Hearn Project Director
Shoko Koizumi



 ラフカディオ・ハーンが、2歳から13歳までの最も重要で多感な時期を過ごし、その後人生の長い旅路の果てに二度と帰ることのなかったアイルランド。私たちは、”The Open Mind of Lafcadio Hearn”プロジェクトのひとつの終着点として、アイルランド人作家としてのパトリック・ラフカディオ・ハーンの魂をこの国に連れて帰ることができるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。

最愛の母を捨てた父、厳格なカトリックへの反抗、幽霊やゴシックに対する恐怖、大叔母の破産などハーンにとってはつらい思い出ばかりの祖国アイルランド。大西洋を渡りたどり着いたアメリカで捨てた「パトリック」というファーストネーム。しかし、彼がアイルランドから受けた影響は計り知れないもので、晩年にはアイルランドの国民的詩人W.B.イェイツに宛てた手紙の中で、アイルランドへの愛情も見せています。ハーンとアイルランドの関わりに触れながら、今年アイルランド国内で開催される予定のイベントについてご紹介したいと思います。








レフカダ Lefkada


 1850年6月27日午前4時、サンタ・マウラ(レフカダ)で、パトリキオス・ラフカディオス、「パトリック・ラフカディオ」は生まれました。父はアイルランド出身の英国陸軍軍医補チャールズ・ブッシュ・ハーンで、母は、キシラの娘ローザ・アントニウ・カシマチです。
つまり、ハーンは、父の生地アイルランドの名前「パトリック」と、生まれた島にちなんだ「ラフカディオ」の両方をとって名づけられたのです。生まれながらにして、彼は多様な文化とアイデンティティを背負って生きていく運命にあったのかもしれません。







ダブリン Dublin

 ハーンの父チャールズは、1818年にアイルランドのアーマー県に、7人兄弟の2番目として生まれました。ハーン家はアングロ・アイリッシュと言われるプロテスタントの家系で、1700年代にイングランドから移住してきたと言われています。代々、英国陸軍とアイルランド教会に仕えるというゆるぎない伝統を保持していました。彼は、1834~’39年トリニティ・カレッジで医学を学び、そのまま英国軍医学校に進んでいます。
母と子がレフカダに置き去りにされてから2年が経過した1852年8月1日、ローザと2歳になるハーンはダブリンにやってきます。今年はハーンがアイルランドに渡って163年目。「ローワー・ガーディナー・ストリート48番地」に住んでいたチャールズの母エリザベスが、ハーン親子を最初に迎え入れた人でした。




ここは現在TownhouseというB&Bになっていて、ハーンの肖像写真の展示スペースがあり、また3階の部屋にはそれぞれ作品の名前が付けられています。
その後、ローザとハーンは、チャールズの叔母にあたるサラ・ブレナンと一緒に、ダブリンの郊外「ラスマインズのレンスター・スクエアー21番地」に移ります。
1853年チャールズが一時帰還するのですが、ローザの精神状態は深刻で、チャールズはもはや彼女を恋人や話し相手として考えられなくなっていました。1854年の夏、ローザはアイルランドを後にし、二度と息子のもとに帰ってくることはありませんでした。
大叔母サラ・ブレナンに育てられるようになったパトリックは、1855年または’56年に「アッパー・リーソン・ストリート73番地」に越しました。ハーンは裕福なサラに可愛がられながら7~8年そこで暮らしています。長く暗いアイルランドの冬の暮らしと陰気な室内は、恐怖に満ちて耐え難いものでしたし、彼はしばしばその家に住み着いている(と思い込んでいた)恐ろしい幽霊や精霊などを見て、常にそれらにつきまとわれていると感じでいました。このようなものに対する恐怖はハーンの魂の奥底に深く刻み込まれ、後年の彼の作品に影響しているとポール・マレイ氏は言っています。
実際彼は、この家でいとこのジェインの幽霊を見ているのです。彼女の顔には目も鼻もなくのっぺらぼうだった・・・





































































コング Cong



 ハーンは夏になると何度かメイヨ―県コングにある叔母キャサリン・エルウッドの家に遊びに行き、いとこのロバートと遊びました。その時のことを作品「ひまわり」の中に書いていますが、これは彼があまり語ることのなかった貴重なアイルランドの体験談です。
コングは風光明媚な小さな田舎町で、映画「静かなる男」の舞台としてあまりにも有名です。2012年にこの街を訪れた時、エルウッド家の子孫イーモン・エルウッド氏と会うことができ、それは私たちにとって大きな喜びとなりました。また、全く偶然にもオーストラリアとニュージーランドから来ていたハーンの曾祖父ロバート・トーマス・ハーンの子孫に出会ったことは、驚きでした。そしてこの老婦人たちと、去年ギリシャで再会することになるとは夢にも思わなかったのです。―COINCIDENCE―アイルランドではよく起こることなのだそうです。




























































トラモア Tramore



 1857年7月、ハーンと大叔母サラはウォーターフォード県トラモア町の海辺にいました。この時、ハーンが最後に父チャールズに会ったのはこの地です。父は7歳になる息子に別れを告げると、再婚相手のアリシア・ゴスリン・クロフォードとともにインドへ赴任し、その後父と二度と会うことはなく、チャールズは1866年マラリアで亡くなります。当時トラモアには、ハーン家の人たちが多く住んでいたので、ブレナン夫人はよく訪ねて行ったということです。
2012年、アイルランド南東部の海沿いの町トラモアでは、主人と私はウォーターフォード市長と町のヒストリアンであるアグネス・エイルワードさんの歓迎を受けました。この地には、サラとハーンが滞在していた家がまだ残っています。それは、スイート・ブライアー・ロッジと呼ばれる可愛らしい家で、サラは晩年をこの地で過ごし、この家で亡くなり、丘の上の教会の墓地に眠っています。
















もうひとつは、ベル・エアーと呼ばれるお屋敷です。この家を見る限りでは、ハーンの子どもの時代の裕福な生活が伝わってきますし、窓からはトラモアの海岸が一望でき、ハーンがここで泳ぎを覚え、一生海が好きだったのは、このトラモアの体験があったからなのだろうと思うのは自然なことでしょう。























この旅は、アイリッシュ・タイムズの記者ジョン・モーラン氏が私たちのために計画してくれたもので、彼の好意と努力に心から感謝します。








 トラモア小泉八雲記念庭園
Toramore Lafcadio Hearn Memorial Garden


  さて、私たちの訪問がきっかけで、アグネスさんはトラモアに小泉八雲記念庭園を造ることを計画。海岸が一望できる素晴しい傾斜地にガーデンの建設を進めています。
このガーデンにはテーマとストーリーがあります。
それはハーンの生涯の旅、そして日本の民話に関する作品が基調になっていて、9つのガーデンで構成されていています。各ガーデンにはテーマがあり、「トラモアをイメージしたエントランス」「本庭園へと進むスペース」「アメリカン・ジャーニー」「アライバ」「亀の池と滝」「ウッドランド」「平和と調和」「伝説の庭」「旅の終わり」と続きます。
ガーデン委員会の代表を務めるアグネスさんは、ハーンを記念するこの庭園を訪問するすべての人が、この庭園が与えてくれる平和と静けさを楽しんでいただけるよう期待していると話してくれました。
ガーデンは、今春工事をほぼ終える予定で、オフィシャルオープニングは6月27日のハーンの誕生日にしたいと発表がありました。現在、仕上げに向けて急ピッチで進められています。























アイリッシュ・タイムズのジョン・モーラン氏は、レフカダにオープンしたヒストリカル・センターの開設を高く評価していますが、トラモアの記念庭園は、旅行者にとっての文化的な施設になるだけでなく、地元の憩いの場や教育施設となることが期待できると、ハーンの文化資源的な活用を期待しています。これは、オープン・マインド・プロジェクトの大きな目的のひとつであり、トラモアの住民からこのような声が上がったことは大変うれしいことです。同時に、この庭園の事はすでにアイルランドのエンダ・ケニー首相の耳にも入っており、ラフカディオ・ハーンが日本とアイルランドの友好の懸け橋の一助になることが期待できます。


庭園には、松江市が小泉八雲のレリーフ(倉澤實作)を寄贈することを検討していると聞いていますし、庭園を訪れる人や町の子どもたちのために、ビジターズ・センターの開設も検討中です。


































The Open Mind of Patrick Lafcadio Hearn—HOME COMING—

2015年10月7日~2016年1月6日

An Exhibition at The Little Museum of Dublin


長年の夢が叶い、ついにオープン・マインド・オブ・ラフカディオ・ハーンの展覧会がダブリンで開催されることが決まりました。2009年から世界を旅してきたオープン・マインドのプロジェクトを最後にハーンの祖国アイルランドで開催するために、在ダブリン日本大使館はじめ様々な関係者に会って話を進める中、ダブリン・リトル・ミュージアムが興味を示してくれました。キュレーターはサイモン・オコーナー氏。

ここは、小さいながらダブリン出身者やダブリンに関係する題材を取り上げてエキシビションを展開しているユニークなコンセプトのミュージアムです。ダブリンで幼少期を過ごしたラフカディオ・ハーンがアイルランド人作家として初めて里帰りできる素晴しい機会を与えていただきました。ハーンを紹介するパネルや初版本のほか、小泉八雲記念館からハーンの愛用品を借りて展示する予定です。

主催・企画はすべてリトル・ミュージアムで、タイトルとコンセプトを共有していただくことにしました。プロジェクトの一環として、松江市の協力と資料提供を約束したところで、同市のハーンに対する敬愛の念と継続的な支援には心から感謝しています。

































ここに至るまでに私と主人、そしてギリシャのアドヴァイザー・タキス氏は、何度かアイルランドに足を運び、サイモン・オコーナー氏、ポール・マレイ氏、ジョン・モーラン氏、藤田儒子氏、早川芳美氏、日本大使館の山田有一氏、アグネス・エイルワード氏らと話し合いを持ちました。そしてこのエキシビションを中心に国内数か所でオープン・マインドのイベントを展開することを話し合っています。






Lafcadio Hearn Reading 
Performance by Shiro SANO&Kyoji YAMAMOTO

「稀人(まろうど) 異界からの訪問者たち」


 2014年の夏、ギリシャで上演し、600人の観衆を感動の渦に巻き込んだパフォーマンスは、リトル・ミュージアムのオープニングに合わせ、国内3~4か所で開催する予定です。ハーンの高祖父ダニエル・ハーンは、ダブリンのドーソン・ストリートにある聖アン教会の教区牧師を務めていたと言われていますが、この教会の協力を得て開催する予定です。このほか、ガーデンのあるトラモア、そしてコングのある西部の町ゴールウェイでの開催を計画しています。ハーンは幼い頃、コナハト出身の乳母、キャサリン・コステロからたくさんの妖精譚を聞いて育っていますので、ストーリーテリングが人々の生活に根付いているアイルランドでハーンの怪談を語る朗読パフォーマンスが開催できることは、大変光栄なことです。
ポール・マレイ氏が触れているように、「ハーンが日本で怪談を掘り起こし、それに魂を吹き込み再話に情熱を注いだことで、アイルランドでの恐怖体験が、幼少期のパトリック・ラフカディオが再び表舞台に出てきたことにつながる」と言えるでしょう。
つまり、ラフカディオ・ハーンが描いた日本が、きわめてアイルランド的想像力を通してみた世界だということがわかるのです。そして長い間旅に出ていたアイルランドの文学の放浪者が、ついにアイルランドに帰ってくることになるでしょう。