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2012年12月19日水曜日

✰【INJ Essay】✰「What’s the craic? 天気は悪いが今日も元気!わかふぇよしみのゴールウェイ徒然草」Vol 22~「WA CAFÉ Japan Tour!! 石巻その壱 ~寿司修行 」✰





WA CAFÉ Japan Tour!! 石巻その壱~寿司修行」


先ず、東日本巨大地震津波の被害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、震災の被害に遭われた方、そして今なおその被害につらい思いをされておられる方々...心からお見舞い申し上げます。
そしてまた先日も大きな地震が三陸沖であったとニュースで知りました。心中お察し申し上げます。




この11WA CAFE寿司シェフのConorと日本へ寿司の武者修行に行ってまいりました。
今回はそのリポートです。寿司修行とともに貴重な体験をたくさんして来ました。

今回の寿司修行はこの9月ゴールウェイで行われたインターナショナルオイスターフェスティバルでご縁のあった、三陸牡蠣復興に携わる牡蠣業者さんのご紹介で、石巻市の寿司屋さんで実現しました。



実はゴールウェイでオイスターフェスティバル視察団にお会いした時に、その一行のおひとりで、石巻から来ていた牡蠣養殖業の方がふともらした一言がずっと気になっていました。
「今朝起きて思ったんだけど、ゴールウェイの空気が、石巻にすごく似てるんだよな・・・。」
え??豊田市出身の私はゴールウェイに来てからずいぶん経ちますが、ここの空気が日本に似ているとは一度も感じた事はありません。

石巻の空気がゴールウェイに似ている・・・
この言葉にびびっと来て、どんなところなんだろう、と興味を持ちました。


一年と8カ月ぶりに(偶然にも前回帰国時に震災に遭いました)日本に帰国してからテレビをつけると毎日のようにやっている復興関連のニュース。
確実に一日に一回以上は「石巻」という名前を耳にして、焦りました。
「寿司修行」なんて言っている自分のおめでたさは何ということでしょう・・・。



アイルランドからではなかなか分からなかった日本の復興の現状、まだまだということが帰国して徐々に分かり始めました。愚かな私・・。
津波で大きな被害を被った石巻市。その時の様子は知ってはいましたが、「今」がどうなっているのかはアイルランドからではなかなかわかりませんでした。
日本に暮らしている日本人だったら普通に知っているだろう被災地の現状を知らない私。
そんなところへ復興のお手伝いでもなくお邪魔しに行くのはどうだろう、と後悔しました。

しかし、自分のことだけでもまだまだ大変な状況の被災地の石巻で、こうして私たちを受け入れてくれる所があるという、これもご縁。では、このご縁をありがたく頂戴し、ちゃんと見て学んでこよう、と考え直しました。


ゴールウェイから連れて行った寿司シェフConorには行く前から「日本では毎日のようにちいさな地震は起こっているから大丈夫、心配することはない(!?)、ぐらっと来ても慌てず騒がず、みんなと一緒に非難するように」、とだけ伝えていて、なるべく深く考えすぎないようにしていました。
実際何か起こったらどうしよう、という不安もありましたが、そんなことばかり考えていたら何もできません。



石巻に着いたのは夜で真っ暗だったので外の様子がどんなだかよく分からなかったのですが、次の日、街の様子を見て愕然としました。たくさんの建物は改修されていようなのですが、未だにがれき山がそこらじゅうにあり、海岸沿いには何千何百の廃車になった車が山積みになり、大きくえぐられた跡が残っている山を見てショックを受けました。
あの車に乗っていた人たち、あそこに住んでいた人たちは今どうしているんだろう。。。





私たちが修行したのは、津波で大きな被害を受けた「渡波」にあるお寿司屋さんでした。
渡波駅からむこうの駅は津波に流されたまま、まだ復旧しておらず不通になっていました。
Conor2人、駅からとぼとぼとと歩いていきます。
途中見つけた、さびれた神社で「世界平和&修行がうまく行きますように」とお祈りしました。



わたしの中でのお寿司屋さんのイメージは、こわくて厳しくて無口な親方がいて仕事は盗んで覚えろという態で寿司を握っている、というもので、そのまんまの私の受け売りを信じているConorと共に、どんな親方がいてどんな寿司修行が待ち受けているのだろうか、とはらはらどきどきで「味楽」の門を叩きました。








迎え入れてくれたのは、満面に笑みを浮かべた福顔の大将でした。ほっとしました。
はじめに、自己紹介をしてどんなことを学びたいか等の打ち合わせをして、早速修行の開始です。

「味楽」の営業時間は11時から21時で、週一休み。提供している食事は寿司をメインとして、ほかにも定食やどんぶり物や麺類。
客席30席と時々と入ってくる出前注文を大将含めて4人でまわしているという、営業形態やメニューなど状況がWA CAFÉにかなり似ていて、勉強するのに最適な店で修業させてもらいました。





電車の都合で働いていたのは毎日10:30から20:30でしたが、他の人たちは私たちより早く来て遅くまで仕事をしていました。
お寿司屋さん、飲食業は大変です。好きでなければやっていられません。
普段は「自分の人生楽しみたい、仕事だけなのは嫌だ」と勤務時間をセーブしているConorですが、今回ばかりは最初っから最後まで弱音を吐くこともなく、最後までモチベーションを高く保っていました。
彼も彼なりに日本食とは何ぞや、日本人とは何ぞやと感じる事ができたでしょう。








また、Conorの誰とでも馴染む性格が功を奏してか、言葉や文化の違いはほとんど障害とならず、まるで前からいたかのようにみんなとうまくやっていました。
ふと、ミュージシャンや芸術家やアスリートたちは言葉が違っても分かりあえるように、寿司の世界も同じなのかも、将来外国人の寿司職人さんが増えてもその道を極めている人なら日本人の寿司職人と寿司で会話できるのかも、と思ったりしました。

なんと初日からカウンターに立たせてもらい、いつもWA CAFÉでやっている巻物から始まり、軍艦、さすがにお客様にはお出ししませんが、自分達のまかない飯になる握り等、どんどんやらせてもらえました。
そしてわたしは寿司はもちろん配膳、洗い物となにからなにまでできる事は何でもやらせてもらって、ひとの動きを観察し店の表も裏も勉強させてもらいました。





石巻に行くことが決まりいろいろ調べてみたら、石巻って「魚天国」であることがわかりました。
石巻・三陸沖は暖流の黒潮、寒流の親潮が出会う潮目であり、豊富な魚が集まってきます。
またリアス式海岸で魚が住み処とする場所もたくさんあって、河川系水の混合具合もいいなどの好条件が重なり、世界三大漁場に数えられているそうなのです!!
そして漁場に近い石巻市は日本においても有数の水産都市なのです!!
そしてその世界三大漁場から水揚げされる魚を使った石巻の寿司はなんと50種類以上とか!!
水揚げ漁獲種日本一を誇る石巻湾から揚がる魚と肥沃な土地で育まれた宮城のお米でつくる寿司、石巻を代表する食といえば、「寿司」と「刺し身」なんだそうです。知らなかった・・・。

そして私たちが修行を受けた渡波からほど近い万石浦ではその昔、牡蠣の養殖法が開発され世界中に広まった、とのことです。
牡蠣がご縁になった今回の寿司修行、最適の場所で最高の人々とすることができました。もう何かに導かれてここに来たとしか言えないような気持ちになってきました。








5日間の寿司修行はあっという間に終わってしまいました。週末から働き始めたのもあって、お店はずっと混んでいてなんとか注文の品を出していくことで精いっぱい。
WA CAFEメンバーはお店の役に立っているのか、邪魔しているのかわからない状況・・・。

石巻最後の日、大将が石巻の街をいろいろ案内してくれました。
まずは、まだ日もまだ出ない早朝、車で魚市場へ行きました。途中小学校が見えましたが、まだ津波の被害を受けた時のまんま。この光景はショックでした。


仮設の魚市場も見学しました。震災の前は1キロにも及ぶ魚市場だったと聞きました。活気があったでしょうね。






現在は2-3棟ですが、活きのいい魚が、種類と大きさごとにきちんと仕分けされていて、たくさんの仲買人たちがコンテナーのまわりに集まり競りが始まっていました。ここが以前のように復興するのにはどのくらいの時間がかかるのでしょう。
世界三大漁場の魚市場、いつか立派に復興することを祈っています。





港の向こうの山から朝日が登ってきました。
久しぶりに見る日本の日の出は緯度の高いアイルランドの太陽に比べると柔らかい光でほかほかしてる感じです。
登って来た途端にあたりがじんわり温かくなってくるようでした。
大将が「朝日はね、体にとってもいいんだよ。特に生まれたての日の出は特に効果があっていっぱい浴びるといいよ。」
そう言われてみると、そんな気がします。身も心も浄化されていくような感じです。






その後は、石巻湾を望む日和山の日和神社や、伊達正宗の命で400年前に建造され、遣欧使とともにヨーロッパまで海を渡った木造の船、サンファン・バウティスタ号を見に行ったり、山の上から「あの橋の上を車や船が流されて行ったんだよ。」という橋を見たりしました。

美しい景勝地をたくさん持つ石巻市、津波の被害を見るにつけ気持ちは複雑です。
なんとか、もとの、いや前以上の美しい街に早く戻って欲しいものです。









こんな甚大な被害を受けた場所ですが私が石巻にいる間、出会った人たちからは震災の時の苦労話も愚痴の一言も聞きませんでした。
口に出てこない程まだ消化できていないとてつもなく大きな悲しみなのかもしれません。
最後の最後になって一緒に働いていたひとたちの中にも両親を亡くしていたり、自分自身も津波で3キロも流された後助けられた、という話を聞いてびっくりしました。
そしてまだ仮設住宅に暮らしていること。
全部飲みこんで何もなかったかのようにふつうに振舞って働いているかと思うとなんと強い人たちなのだろう、と頭が下がる思いがしました。

最後の日、こんなまだまだ復興で大変な状況だったのに、お邪魔して申し訳ありませんでした、というと、味楽のご主人はいつもの大黒様の笑顔でにこにこと、「いいんですよ。こうやってね、人が来てくれるというのが大事なんだから。これからもっともっと人が来るといい。」


今回石巻に行ってすごく勉強になりました。寿司の技術を学んだだけでなく、古き良き日本人が持っている礼儀正しさだとか、辛抱強さだとか、人を思いやる気持ちだとか、まだそのまま残しているような人たちとふれあうことで、人間として日本人として何が大事かということも学んだような気がします。
そして自分の中でなにかがふっきれたのか、なにかがしっくり来たのかよく分かりませんが、なんだか全てが、もう大丈夫、という気になったのです。





最後にゴールウェイにいる時からずっと気になっていた「ゴールウェイの空気が石巻に似ている」説。
確かにそうかもしれません。Conorとともにこの空気は一緒だね、と言っていました。ゴールウェイ好きのみなさん、もしかして石巻が好きになるかも?

そして、石巻好きのみなさん、ゴールウェイが好きになるかも?・・・ですよ :
あの一言で今回石巻に行っちゃったわけですが、これからもずっと良いご縁が続く事、そして石巻および被害を受けた東日本が早く立派に復興される事を祈っております。

そして、わたしもアイルランド・ゴールウェイからできる限りの応援をしていこうと思っています。







さて、長くなったので、今回の総括です。(石巻でのことはまた次回にも続く予定です。)

前回の一時帰国中に震災に遭ってから、初めて日本に帰りましたが、何となく、でしか言えませんが、日本全体に小さなちいさな良い芽がたくさん育っているような、そんな気がしました。
日本にはそう頻繁に戻らないからなのか、電車に乗っているサラリーマンの姿とかを見るだけでなんとなく日本のムードをキャッチできたりします。

今回の帰国中にはいろいろな場所で、「お互いにできることを精一杯やっていきましょう」という話をいっぱいした気がします。

たくさんの人たちがなんとかいい方向に向かおうとしている前向きなエネルギーみたいなものをいっぱい感じ、そして日本はもっと良くなっていくと強く思いました。
そしてこれが不景気で元気を失っているアイルランドにも伝染するともっといいなぁ、と思います。


今年ももう残すところわずかとなりましたが、2012年悔いを残さないように精一杯やっていきましょう~♪
今からでも遅くないこともまだまだあるので、わたしも最後までがんばります!




今日も元気にまいりましょう♪

よしみ@わかふぇ 


Photo Courtesy:YOSHIMI HAYAKAWA

(アイルランド共和国現地 12/18ゴールウェイ電)







Yoshimi Hayakawa,2012 IRL-SHOT