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2014年9月10日水曜日

【Ireland Live Report2014】✈小泉八雲が愛したアイルランドの里 トラモア~Mothaigh an Ghaoth Ghaelach (Feel the Irish breeze) ~#Tramore Co Waterford,Ireland✈










トラモアでは、ハーンの大叔母サラが眠るホーリー・クロス協会で市長に温かく迎えられ、その後、海岸で地元の老人たちが海に飛び込む風景を眺めた。
ハーンもこの海で泳ぎを覚え、海の魅力に取り憑かれたのだった。

同行してくれた歴史家アグネス(Agnes Aylward)さんも「彼らは10 oclock Swimmers Clubのメンバーなの。市長も私も会員よ。昨日は私も海に飛び込んだわ!」と平然と語る。













ダウンジャケットで寒さを凌いでいる自分に照らして、驚異のまなざしを隠せなかったが、こんな冷たい海で泳げれば、ハーンのような泳ぎの達人がこれからも出るに違いないと確信した。

~「八雲のいたずら」~小泉凡著:講談社刊 ページ56 ライン15より引用抜粋~








小泉八雲が愛したアイルランドの里、トラモアは日本人にはあまり知られていないと思う。
アイルランド語で「広大な海岸」を意味する“トラモア”~Tramore (Irish: Trá Mhór, meaning "big strand/beach")
そもそもトラモアとはどこに位置するのだろうか?

首都ダブリンから高速道路2時間でバイキングの街ウォーターフォード。
そこから10分でトラモアに着く実にアクセスのいいリゾートである。
しかし、ためしにインターネットで「トラモア」と検索するとホテルガイドはヒットするが町の様子が描かれた日本語リポートはヒットしなかった。そう、今までは知られていなかったのだ。

トラモアの実像、それを知るヒントが、現在書店に並ぶ八雲の曾孫:小泉凡先生が執筆された「八雲のいたずら」に上記のように描かれている。文中に出てくるテンオクロックスイマーズクラブに代表されるように、とにかくこの町の人々は海が好きで愛している。日常に海があり、それを愉しんでいる。きわめて健康的で、ヒマワリの様に明るく優しい人々ばかり。 
日本でいえば年金をもらおうか、という世代の人々が平然と蒼いケルト海の大海原にライフガードもつけず、泳ぎにでるのには正直閉口させられた。












トラモア起工式 挨拶


みなさんこにちは。パトリック・ラフカディオ・ハーンのひ孫の小泉凡と申します。曾祖父がこよなく愛したトラモアに、「ラフカディオ・ハーン庭園」が設置されますことを子孫としてとても光栄に思っております。また、ハーンの165回目の誕生日に、その起工式が行われますことを、とても嬉しく思います。このハーン庭園プロジェクトにご尽力くださった皆様に心から御礼申し上げます。
ハーンは幼い頃、ここトラモアの冷たい海で泳ぎを覚え、乳母キャサリンが語る妖精譚や怪談に耳を傾け、ケルト的な伝統文化に関心を抱きます。その後、イギリスとフランスで教育を受け、アメリカとカリブ海のマルティニーク島でのジャーナリスト生活を経て、39歳で日本にたどり着きました。ユーラシア大陸の両端にありながらも、アイルランドに残る伝統文化と日本の伝統的なフォークロアは大いに響きあっています。そのことに関心を寄せたハーンは日本の基層文化を発掘し、世界に発信しました。ハーンの人生を振り返れば、トラモアでの体験がいかに大切なものだったかがわかります。
2012年9月、私は家内の祥子とともに、約20年ぶりにトラモアを訪れ、市長様やアグネス様をはじめ関係者の皆様から暖かい歓迎を受けました。トラモアを離れる直前の夕やみ迫る頃、アグネスさんは私たちをある場所を案内し、「ここにハーンの人生をイメージした庭園をつくりたい」と言われたのです。大変興奮したことを忘れられません。そして2年余り後の2013年12月2日、私は、東京の安倍首相官邸で開かれた晩さん会でエンダ・ケニー・アイルランド首相とお目にかかりました。その際、安倍首相は私のことを”He is Irish Japanese!”とケニー首相に紹介し、ケニー首相は、私に向かって「近い将来、トラモアにハーンを記念したガーデンができるので、それが両国の文化友好のシンボルになるだろう」と言われました。アグネスさんが語った希望が現実となった喜びを噛みしめた一瞬でした。
来年の完成を心待ちにしています。そして皆様とともに、今日の起工式をお祝いしたいと思います。



ハーンが愛した、日本の城下町、松江にて


Bon Koizumi

Professor, University of Shimane  Junior College

Great grandson of Lafcadio Hearn




Hello everyone,                                                                                                                                                      
My name is Bon Koizumi, Great  grandson of Lafcadio Hearn.
As his descendant, I am honoured that  there is going to be a “Lafcadio Hearn garden” in Tramore,  a place that he loved so much.  I am also pleased to learn the sod turning ceremony is being held on his 165th birthday. I sincerely extend my gratitude to those who made tremendous effort to make this project happen.
As a child, Hearn learned how to swim in the cold Tramore sea and enjoyed listening to his nanny, Catharine, tell him of fairies and ghosts. These childhood experiences aroused his interest in Celtic traditional cultures.  After being educated in England and France, he spent his time in America and Martinique Island in Caribbean as a journalist, and arrived in Japan at the age of 39.
Ireland and Japan’s traditional culture and folklore resonate, although one country rests in the very West and one in the very East of the Eurasia Continent. He found the similarity very interesting, consequently exploring the fundamentals of Japanese culture and introducing it to rest of the world.  As we reflect on his life, it is obvious that his experiences in Tramore were really precious and significant to him.
September 2012, my wife Shoko and I visited Tramore for the first time in about 20 years, and received a warm welcome by the Mayor, Agnes Aylward and many others. Just before dusk, when we were about to leave Tramore, Agnes brought us to a certain place and said, “We would like to create a garden to illustrate Hearn’s life journey”. I will never forget how excited I felt to hear that.  Two years later, I had an opportunity to meet Taoiseach Enda Kenny at a reception Prime Minister Abe held in Tokyo. The Prime Minister introduced me to the Taoiseach and said to him “He is Irish Japanese”. The Taoiseach told me then, “In the near future, there is going to be a Memorial garden for Hearn in Tramore. It is going to be a symbol of friendship between the two countries and their cultures”   At that moment, I felt  rejoiced to learn that  Agnes’ dream had come true.
I offer my sincerest congratulations on today’s sod turning, and am really looking forward to its completion next year

With Best wishes from Matue, the Japanese castle town that Hearn had loved,



Bon Koizumi Professor, University of Shimane Junior College Great grandson of Lafcadio Hearn



























また、来年開業を目指すトラモア小泉八雲庭園は行政やコミュニティーも巻き込み注目の話題だ。
小泉八雲の人生をタームごとにわけ、それを庭園という形式で表現する。
まさにディズニーランドの「イッツアスモールワールド」ならぬ「イッツアハーンワールド」である。
コミュニティーセンターやティーテイスティング(日本の!)、ショップも建設予定。


・・・でもまてよ、アイルランド人自体にあまり知られていない“ラフカディオハーン”の庭園に一体どれだけの人の関心をよせられるのだろうか?

私自身日本側のプロモーターなのだが、まさにプロモーションコンセプトはそこから始まるのである。そう、丁度「ねえアイルランドってどんな国?火山が爆発してテロも心配」とささやく茶の間の人々にアイルランドの姿を伝えるように・・・・・
そこで思ったのが、このトラモアという街自体の魅力だ。実に爽快で心地よい・・・・

昨年も、ここトラモアを訪ねたが、黙々と建設をすすめる現状とは対照的にトラモアの町の様子は実に賑やかだ。

アイルランド屈指のブルーフラッグリゾート。
T-Bay と呼ばれる欧州でも屈指のサーフィンスポット。
ファミリー層に人気の遊園地に歴史あるアイリッシュパブ。
年に6回開かれるホースレースには、ファッショナブルな女性のビジターで埋め尽くされる。
海だけでなくミドリも豊か、ダンバーガンに向かう海岸線の道は、実にアイルランドらしい絶景の景勝ルートである。






ケルト海に面しているため、アトランティックシーにスポットをあてたワイルドアトランティックウェイの範疇に定義上含まれないが、西海岸に負けない魅力がこのTidy Town Tramoreにはある。

ダブリンやゴールウェイといった有名な都市もいいだろう。しかし、そこから一歩離れたアイルランドのHidden Gemsを訪ねるのも一興であろう。

まずはこのトラモアで感じるアイリッシュブリーズを皆様に感じてもらいたい。

アイルランドと日本の架け橋の象徴・小泉八雲が愛したアイルランドの里、トラモアへようこそ。
そして今回の訪問に際し多くの地元関係者様の歓待をうけた。あらためてトラモアすべての皆様に御礼申し上げたい。


アイルランド。ブルースカイ。小泉八雲が幼少期過ごしたアイルランドの里を歩く・・・・・・



Special Thanks




Agnes Aylward

歴史家。小泉八雲庭園事業全責任者



Sean Aylward

アグネスの夫。ハーン家家紋の「鷺」のリングを愛用。



Karen McCarthy

ITコンサルタント、トラモアを知り尽くす淑女




Donal Sheerin


コンサルタント。地元FM「TCRfm」パーソナリティー





Photo Special Thanks



Brendan St. Johns Photography





John Doherty











#LoveTramore Home of Lafcadio Hearn Gardens





View Tramore in a larger map





ラフカディオ・ハーンを祝う

アイリッシュマン日記~多彩な天才文学者兼旅人について~
ジョン・モーラン

(翻訳:水谷じゅんじ) アイリッシュタイムズ紙 Aug 18, 2014


それはギリシャ・レフカダのイオニア諸島でのロマンスに相応しい素晴らしい夜となった。つい先日、壮大な日の入り後の青く美しい珊瑚を臨む野外オープンシアターにおいて、1,000名を超える人々が集まり、日本・熊本発の一流指人形劇による魔法のような公演を満喫したのだ。
演目は雪女。古代日本の昔話で、ラフカディオ・ハーン著のシリーズ作・怪談においてリメイクされたものだ。ラフカディオ・ハーンはギリシャ生まれで放浪のアングロ・アイルランド人であり、米国とフランス領西インド諸島においてジャーナリスト兼作家として名を成した。その後日本にて西側一番の通訳者となり、1904年に死去した。

雪女は、ある一連の市民的・芸術的・学問的イベントの一環だった。それは国際シンポジウム「オープンマインド・オブ・ラフカディオ・ハーン:西洋から東洋へ」のことで、ハーン生誕160周年を記念するため、アテネ、レフカダ、コルフ島で開催された。
2日間にわたるシンポジウムのメインは、日本、ギリシャ、米国、マルティニーク島から招待されたハーン作品の作家・読者による研究論文やプレゼンテーションの講演だ。
アイルランドからは2人が講演者に含まれていた。ハーンの伝記作家・ポール・マリーと、本日の日記作家(つまりジョン・モーラン本人)だ。

作家としてのハーンのキャリアは、米国の新聞・雑誌向けの膨大な量のレポート、関連記事、エッセイにおける革新的ジャーナリズムが挙げられる。彼はこの分野における、19世紀後期の文学的物語体のパイオニアであり、20世紀中期の新ジャーナリズムの先駆けであった。
彼の革新的で多岐にわたる仕事は、アフリカ系アメリカン民俗学・民族音楽、クレオール料理、世界文化、宗教、犯罪、旅行記、マンガ、イラスト、怪談にまで及ぶ。それから、モーパッサンやフロベールなどフランスを代表する作家たちの翻訳書、プロト魔術的リアリズムについて1冊、小説が2冊、最後に日本文化・民俗学について14冊を手掛けた。

ハーンは、彼の父・チャールズ・ブッシュ・ハーンの生誕地にちなみ、パトリックと名付けられた。チャールズ・ブッシュ・ハーンはアイルランド出身の英国軍・軍医少佐だった(当時英国軍はイオニア諸島を占領)。また、ラフカディオはハーンが生まれた土地・レフカダ島に由来し、イオニア人だった母・ローザ・カシマティに敬意を表している。

ハーンが生まれる前、父親は西インド諸島へ配置となり、1852年にローザは2歳のパトリック・ラフカディオを連れ、ダブリンへと移り住んだ。
両親の離婚後、彼はラスマインズ(ダブリン市南部)にある大叔母に育てられた。
パトリック・ラフカディオは幼い頃に別れたギリシャ・イオニア島の母親のことをいつまでも忘れることはなかった。父親はダブリンでの自身のバックグラウンドから来たある女のためにローザを捨てた。ローザはラフカディオにとって、他人や異国人の象徴となっていく、彼の作品の一つ「夏の日の夢」においては美化された喪失感となった。ハーンはシンシナティ、ニューオーリンズ、マルティニーク島や日本全国のあちこちを旅し、すべての土地について旅行記を書いた。ローザはそこで描かれたエキゾチックな異国人たち全てのモデルとなった。
日本において、ハーンは自身の名を妻のものに改名し、小泉八雲としてその生涯を閉じた。八雲の名は今日においても日本人の記憶に刻まれている。

レフカダ島でのイベント出席者は主にハーンの曾孫・小泉凡と妻の祥子、ギリシャ美術商のタキス・エフスタチオ、アテネにあるアメリカンカレッジ・オブ・ギリシャ、地元の市民関係者などによって組織されており、旅行者、教育機関、学生、外交官、ジャーナリスト、ニュージーランド・オーストラリアからの勇猛なハーンの身内が含まれる。
アテネのアイルランド大使館は、シンポジウム支援団体の一員であり、至る所でよく目立っていた。

町の住民にとって、おそらくシンポジウムの主要イベントはラフカディオ・ハーン・ヒストリカルセンターでのオープニングだろう。センターのオープニングはアイルランドで過去最大のハーンイベントの直後に来た。アイルランドでは、627日からウォーターフォード・トラモアに新たに2.5エーカーのラフカディオ・ハーン・ガーデンズの建設が始まった。来年春の完成時には、ガーデンは旅行者の主要な文化的アトラクションとなるだけでなく、地元の憩いの場や有望な教育施設ともなるだろう。

同時にダブリンでは、注目すべき話題としてハーンの展示会がリトル・ミュージアム・ダブリンで来年開催される。


やっとのことでハーンを世に知らしめる、ハーンを支持するため、ハーンと交信した都市は、ニューオーリンズ、ニューヨーク、東京、松江、ダラム、アテネ、レフカダ、そしてトラモアである。ダブリンの展示会が開催されれば、パトリック・ラフカディオ・ハーンのゴースト、壮大な旅人、世界の先駆的住民、長らく行方知らずだったアイルランドの文学放浪者が、ついに帰ってくることとなる。







Celebrating Lafcadio Hearn

John Moran:The Irish Times Aug 18, 2014,


An Irishman’s Diary about a protean literary genius and traveller

It was a marvellous night for a romance on the Ionian island of Lefkada in Greece recently as more than 1,000 people gathered after a glorious sunset in the outdoor Open Theatre looking out onto a beautiful blue lagoon to savour a magical performance by a leading puppet theatre from Kumamoto in Japan.

The play, Yuki-Onna (snow woman), is an ancient Japanese folk tale as reworked in his collection Kwaidan by Lafcadio Hearn, the Greek-born wandering Anglo-Irishman who made his name as a journalist and writer in the United States and the French West Indies before becoming the West’s foremost interpreter of Japan, until his death there in 1904.
The show was part of a series of events, civic, artistic and academic, held in Athens, Lefkada and Corfu as part of an international symposium, The Open Mind of Lafcadio Hearn: his spirit from West to East, to mark the 160th anniversary of the writer’s birth. The main symposium focus over two days was the delivery of papers and presentations by invited Hearn writers and readers from Japan, Greece, the USand Martinique. Included were two from Ireland, Hearn biographer Paul Murray and today’s diarist.
Hearn’s career as a writer included ground-breaking journalism in an enormous volume of reports, feature articles and essays for US newspapers and magazines in which he pioneered the literary narrative style of the late 19th century and anticipated the new journalism of the mid-20th. His enormous and eclectic oeuvre spans African-American folklore and music, literary criticism, Creole cuisine, world cultures, religions, crime, travel writing, cartoons, illustrations and ghost stories; then there are his translations of the leading French writers like Maupassant and Flaubert, a proto-magic realism book, two novels, and finally 14 books on Japanese culture and folklore.

Hearn was named Patrick after the country of his father, Charles Bush Hearn, an Irish surgeon-major in the British army (then in occupation of the Ionian Islands) and Lafcadio after Lefkada, the island on which he was born and in honour of his Ionian mother, Rosa Cassimati. Before his birth, his father was posted to the West Indies, and in 1852 Rosa brought two-year-old Patrick Lafcadio to live in Dublin. When his parents’ marriage ended, he was raised by a grand-aunt in Rathmines.
Patrick Lafcadio would forever remember the Greek island mother who was lost to him at an early age when his father dropped her for a woman from his own background in Dublin. Rosa would become for Lafcadio the personification of the other and the outsider; a loss idealised in his fragment The Dream of a Summer Day. She became the mother of all the exotic outsiders he wrote about everywhere he travelled; in Cincinnati, New Orleans, Martinique and many parts of Japan, where he changed his name to that of his wife, to end his days as Koizumi Yakumo, by which name he is still well remembered there today.
Attendees at the events on Lefkada – which were mainly organised by Hearn’s great-grandson, Bon Koizumi, and his wife, Shoko, Greek art dealer Takis Efstathiou and the American College of Greece in Athens, plus local civic officials – included tourists, academics, students, diplomats, journalists and doughty Hearn relatives from New Zealand and Australia. The Irish embassy in Athens was among the parties that supported the symposium and was well represented throughout.

For townspeople, perhaps the key symposium event was the opening of the Lafcadio Hearn Historical Centre. The opening of the centre came soon after the most significant ever Hearn event in Ireland, when on June 27th work began on the new 2.5-acre Lafcadio Hearn Gardens in Tramore, Co Waterford. When completed next spring, the gardens will become not only a key cultural attraction for tourists, but also a fine local amenityand a promising educational facility.

Meanwhile in Dublin, there is considerable excitement that a Hearn exhibition will go ahead in the Little Museum of Dublin next year, at long last putting on on the map the city that raised him, to stand with with New Orleans, New York, Tokyo, Matsue, Durham, Athens, Lefkada and Tramore.
Should a Dublin exhibition take place, the ghost of Patrick Lafcadio Hearn, magnificent traveller, pioneering citizen of the world and Ireland’s long-lost literary fugitive, will finally be coming home.