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2014年4月12日土曜日

✰【INJ Essay】✰「What’s the craic? 天気は悪いが今日も元気!わかふぇよしみのゴールウェイ徒然草」Vol 34~ 「“Brighter Future”~アイルランド新たなステージへ」






Brighter Future”~アイルランド新たなステージへ


ここのところ毎日、アイルランドの全国紙、 Irish Times紙の一面を賑わしているのはアイルランドの大統領、Michael D Higginsがアイルランドの国家元首として初めて英国を公式訪問し、英国の国家元首であるエリザベス女王に面会したというニュースです。





これはもともと2011年の5月、エリザベス女王がはじめてアイルランドを訪れたことのお返しとして、アイルランド大統領を英国に招待したことで実現した訪問です。







昨日はウィンザー城で華やかな晩さん会が行われたとのことで、新聞でも大きく取り上げられています。


2011517日、英国のエリザベス女王は、英国君主としては100年ぶりにアイルランドを訪問し、ダブリンの記念公園にて英国から独立を勝ち取るために戦った兵士の記念碑に献花し黙とうをささげたのでした。
そして独立を求めて命を落とした人々に「哀悼の意をささげる」と述べました。






これはアイルランド人にとっては歴史的な一大事でした。

3年前のエリザベス女王の来愛の様子をたまたまダブリンで目撃した友達はこう言っていました。
「沿道には誰も出ていなかったよ。ましてや旗を振る人なども皆無。普通の日みたいにただ車が通り過ぎて行っただけだったよ。」
国賓である国家元首が一般人からなんの歓迎もなかったのは、それだけの理由があったからなのでしょう。
それにして野次馬もなく、通りには誰もいなかった、とのことなので、アイルランド人のイギリス支配に対する怨恨の思いはよっぽどのものだったのでしょう。

一般人の中に今でも残る英国に対する、理由のはっきりしない嫌悪感はずっとあったようです。
私がアイルランドに来てからなので、そんな昔の話でもないのですが、サッカーやラグビーの試合で、アイルランドが絡んでいない試合でもイギリスの試合は人気があり、特にイギリスが負けると観衆は大喜びして盛り上がる、という。。
今でも多少そういう傾向は残っていますが・・・。
アイルランドは800年の長きに渡り英国からの強力な支配を受けており、アイルランド人の英国に対する怨恨の感情は相当のものです。
もうDNAにインプットされているような感じです。
ティーンネイジャーですら「イギリスは嫌い」と毛嫌いする子もいます。なんで?と聞くとうまく説明がつかないようですけど。。。・・・800年は長かったですね。






















現実には長い間を経て、英国にたくさんのアイルランド人が渡り少なからずみんなイギリスに親戚がいたりしますし、アイルランドに住みついているイギリス人もたくさんいます。
両国の人やモノの行き来は活発だし、アイルランドにとっては英国が最も経済的な繋がりも強い国でもあります。

日本と某国との関係でよく言われるように、アイルランドとイギリスは「一番近くて一番遠い国」のような存在でした。

でもIrish Timesも大見出しで「A singular relationship」が「Normal relations finally restoredと謳っています。
ようやく対等な立場になれた・・・と。








私の考察:アイルランド人の複雑さ


両国元首の公式訪問が実現し、今アイルランドと英国の間で新たな局面を迎えようとしています。

800年の支配の事を考えると、この事実はアイルランド人のメンタリティにも相当影響を及ぼしていると思います。
アイルランド人はシャイで、気さくでおしゃべり好き、というステレオタイプなイメージのその裏に日本人の私には少しわからない複雑な精神を持っているな、と感じることが時々ありました。そのことについてちょっと書きたいと思います。


アイルランドにはHidden Priceというか二重料金になっているものがたくさんあります。
実は、電気代、電話代、何から何まで交渉次第で値段が安くなります。
はっきり言ってこのことを知っているのは、アイルランド人だけ(もしかしたらアイルランド人でも一部の人だけ?)です。
わたしもつい最近まで知りませんでした。ただ単にコネがあると安くなる場合もあるんだなとは考えていましたが・・・。
なので、アイルランドでビジネスをするのはトリッキーなことばかりです。
日本だと、競争が激しいこともあるからか、お得な情報はどこからともなく次から次へと入ってきますし、サービスを提供する側はより良いサービス、よりお手頃な価格でサービスを提供できるよう、しのぎを削っています。
顧客としては提示された価格がベストのものであるのが普通ですし、もしサービスが変わったとしたらまずは会社からそれなりの通知もあるはずです。
アイルランドでは得する情報はこちらがかなりの努力をしないとその恩恵を勝ち取ることができません。
知っている者だけが得をする情報。
知らなければそのままにされてしまう。アイルランドがそんな国だったということはあまり知られていませんし、以前の私のようにたくさんの人が知らずにそのまま知らずに過ごしているのかもしれません。


今、Local Electionの真っただ中なのですが、Local Electionに限っては外国人の自分にも選挙権があることアイルランド滞在14年目にして初めてを知りました。
アイルランドだけでなく、日本でも、他の国でも、外国人であることは中々大変です。
人並みに義務の履行は期待されるが、権利の恩恵に浴する為には努力が必要です。
中々すぐには中に入れてくれません。
身近な外国人の友達にも選挙権があることを教えましたが、ほとんど全ての人が、10年以上アイルランドにいる人でさえもそのことについて知りませんでした。

たまたま今回のLocal Electionに立候補する友人が、招いてくれた選挙活動に参加したのがきっかけでこのことを知りました。
質問コーナーで不思議に思っていたことを言ってみました。
「ほとんどの外国人は自分に選挙権があるとは思っていません。カウンシル(地方政府)が外国人に選挙に参加するようにもっと宣伝してもいいんじゃないですか?」
帰ってきた答えは、「古い体制の中にいる役人はみんな甘い汁を吸っている。変わっちゃ困るんだ。僕は変えたいけどね。」と。妙に納得しました。

そして私がアイルランド人に対してずっと嫌だな~、と思ってきたことを始めてアイルランド人自身の口から聞いたような気もしました。

実は、留学生時代は気が付かなかったことを、ビジネスを通して社会に参加するようになって初めて気付いたことや、どうしてこうなんだろう、と悶々と考えていたことがあるんですよね。




気を悪くする方もいらっしゃると思うので、始めにお断りしておきますが、悪い言葉で言うと、アイルランド人の奴隷根性(という言葉が的確かどうか躊躇しますが。)がすごく嫌だったんです。
不便さや不満を感じているのに、誰も率先して改善しようとはしない、下手に責任を負って不利な立場に追い込まれたり、損をするよりは現在ある状況の中でいかに得をして自分を守って生きて行こうか、ということが大切だったりすること。。
自分を投げ打ってでもこの社会をどうにかして行こう、という気慨のある人が出てこない。
アイルランド人は長く虐げられてきたからこそ、優しい部分もあって、人を傷つけたくない、という思いも深いのだともいますが、笑顔で見てない・知らないふりをしていることをされている事にむかついた時もありました。

でも今だからこそ、アイルランドの将来を信じて、今までの古い体制からさよならをしていくアイルランドの今後を信じたいからこそ、あえて言葉を続けるならば今までのアイルランドでは、不満は言っているが体制を変えようと自らが先頭に立ったり、体を張って変えようとしたり、努力しようとする人があまりにも少なかった。
戦うよりは現状の体制の中でいかに自分の利益になるように考え行動すること、それは、さらに弱いものから搾取することに繋がっていました。
さらに弱いものとは、知らない人たち、文句を言わない人たち。そして私たちのような外国人。


支配され被害者の側に回り、文句を言い続けて面倒見てもらっていたほうがある面、責任を負って身を削って建設的に生きることよりも楽なこともあります。
そのいい例をあげると、アイルランドの失業手当の問題でしょうか。この問題は深刻です。
(この事項についてはまた機会があれば具体的に書きたいと思います)

アイルランドでは失業している限りは期限なしでずっと手当がもらえるシステムです。
学歴もあり、身体共に健康な青年たちが最低賃金でフルタイムで仕事をするより、お金がもらえるから、とずっと失業手当に頼っている生活している人たちがごまんといます。もう何十年もそうやって生活しています。。
この国には40代、50代になっても正式に仕事をしたことがない人たちがたくさんぶらぶらしています。
必要な訓練やサポートを施さず、お金だけ与えて、奴隷根性を植え付けさせていたのは政府なのかもしれません。
生活保護を受けている人たちは今の体制が変わってしまったら困るので、政権が代わろうが、何が起ころうが普段はおとなしくしています。
しかし、この失業手当がなくなったら大騒ぎになるでしょう。政府もそれを恐れているようです。
彼らは普段は何も知らないそぶりですが、自分達がタダで何がもらえるかを実によく知っています。
一番文句を言わないワーキングクラスがたくさんの税金を払って上の人達の給料を出し、生活保護の人たちの生活を支えています。

働けど、働けど、我が暮らし楽にならざり・・・こんな事にうんざりしていましたが、アイルランドがイギリスからの呪縛を自らの手で精算したのと時を同じくして、なんとなく、このワーキングクラスが今こそ立ち上がり、国を支えて行こうと変わり始めているような気がしています。









アイルランドは今、新しい一歩を踏み出そうとしています。


さて、話はアイルランド大統領のイギリス訪問の話しに戻します。
今回の両国の国家元首の訪問について、マルホール駐英アイルランド大使が、(両国民が)「歴史の事実と向き合う用意ができた」とコメントしています。

私のアイルランド人の友達のひとりも、「これですっきりした!。」とパブでの飲み会の際に満面の笑みを浮かべていました。

エリザベス女王がアイルランドを訪問し、戦士した兵士の記念碑に頭を下げて謝罪(になるのかは、?ですが)をしたことは多くのアイルランド人のDNAに刻み込まれた「恨み」の感情を溶かしていったのは間違いありません。

アイルランドと英国はこの一週間でその関係に歴史的な新しい扉を開けようとしています。
長く続いた対立の歴史を清算し、お互いに向き合い、新しい関係を築いていこう、と決めたのです。

人と人の交流というものは国と国単位でも個人と個人レベルの付き合いでも、同じ事が大事ということでしょうね。


さあ、アイルランドも長きに渡ってあった、こころの閊えもやっと溶けだして、ついに自分らしい生き方ができるようになってきたのかもしれません。
これから英国を良い友、ライバルとし、アイルランドがアイルランドらしく国際社会で大きく発展して行くことを心から願っていますし、楽しみにしています。
アイルランドはなんだかこれから外国人にも住みやすい国に変わっていく気がしますよ。


私もGalwegianの一員として今度の421日に行われるGalway Local Electionで私の一票を投じて来ようと思います。

















ちなみに大統領マイケルDヒギンスのホームベースはゴールウェイなのですよ。
昔は街で普通に歩いている姿を見かけていましたし、今はファーストレディとなった奥さんと一緒にWA CAFÉにお茶を飲みに来てくれたこともあります。
国家元首となった現在、ダブリンの大統領官邸に居を移し、手の届かない人になってしまいましたが、彼のこころのふるさとはやっぱりゴールウェイなんだろうな、と思っています。



では、今日も元気にまいりましょう♪



Photo Courtesy:YOSHIMI HAYAKAWA

(アイルランド共和国現地 4/10ゴールウェイ電)
































2014年4月11日金曜日

✈【INJ Essay】✈寄稿『私の初めてのセントパトリックスデー・パレード』~木原浩勝~ My First St Patricks Day Parade Tokyo Written by Hirokatsu KIHARA~





こんにちは、作家の木原浩勝です。

去る3月16日の東京、生まれて初めてのセントパトリックスデー・パレードに参加しました。
実はこのパレードどころか、パレードそのものが生まれて初めての体験でしたから、もう楽しくて楽しくて……。

何より関西から上京してかれこれ30年近くになりますが、普段は車が走っている表参道をこんなにも堂々と歩けたのですから、普段知っている道や風景が全く違って見えて、気分の良いことこの上無し。

更に、道路のど真ん中に立っている街頭に誇らしくずらりと掲げられた日本とアイルランドの国旗、これがただのパレードではなくアイルランドのお祭りであり、日本とアイルランドの友情のパレードだと目にも心にも焼き付きます。





今回が22回目でありアジアで最も歴史の長いパレードだと聞きましたが、歩くだけでパレードをしている皆さんを見るだけでひしひしと、今自分は歴史と伝統の中を歩いているのだとずっと心が躍り続けていました。

私のチームはアイルランド好きに集まって頂きました。

留学の経験を持つ作家・高里椎奈(たかさと しいな)さんを筆頭に、アイルランドの国色たる緑が大好きな水草・植物アーティストの水谷竜也(通称:IMO)さん、ネイルアーティストのMINAさん、沢山の編集者のみなさん、洋画専門の声優・水落幸子(みずおち ゆきこ)さん、幽霊・妖怪コレクターで俳優の渡辺シヴヲさん、そしてアイルランドが生んだスーパースター・ストライプスのツアーにも同行する程の漫画家・二丁目のママさん。






ほぼ全員が表現を仕事としている人ばかりだったので、もう喜びもひとしお。
前後のチームがしっかりと統制のとれた隊列で行進している中を、私たちだけが団子になって歩いているんです。
しかもみんな、片手にカメラを持って……。

これではパレードに参加しているというより、邪魔しに歩いている妙な撮影集団にしか見えなかたと思いますが、全員嬉しくて楽しい心が押さえきれなかったのです。
何と言っても、パレードに参加するという名目で、パレードの見物特等席を手に入れたようなものですから。





しかし見ると聞くとは大違いという言葉がありますが、本当にセントパトリックスデー・パレードは楽隊あり、民族の踊りあり、合唱あり、着ぐるみあり、ワンちゃんの行進あり、それぞれがそれぞれの表現でこのパレードを心から楽しんでいるというのが伝わりました。
さすがはアジア一番の歴史を誇る東京のパレードなんですね。
正直言うと周りが立派すぎて恥ずかしくすら思えました。
団子になっている烏合の衆ですからね、もうこれは反省しきりです。
来年はもっともっと……いえ、無理せずもうちょっとパレードにふさわしい何か統一性のとれたことをやって、自分たちが楽しむ以上に沿道に集まっている皆様に喜んで頂けるようにしたいと思います。



























ところで私は、自分たちのチームがわかるようにと、自身の名前の入った小田原町鎮と、昨年小泉八雲(ラフカディオハーン)が縁で島根県松江市で始まった「松江怪談談義」の宣伝用ヘッドプレート(昨年の夏、琴平電鉄を走ったアイリッシュパブトレインの先頭車両に掲げられたプレートです)を手に歩いていたのですが、これがことのほか沿道を埋め尽くした外国の方にウケが良く、何となく嬉しくなったので、私は来年もこれでいきます。

世界のアイリッシュの皆さんと更なる結びつきを願って、来年もがんばりたいと思います!
















さて、今後の私の情報は、

4/11(土)「新耳袋」(佐伯かよの画)が講談社漫画文庫より発売、
4/17(木)コミック雑誌「コミック特盛 新耳袋アトモス」春号 ホーム社より発売、
4/18(金)コミック「新耳袋 第三夜 黒百足・壁を叩く音」集英社ホームコミックスより発売、
4/19(土)オールナイトトークライブ「新耳袋 96」新宿ロフトプラスワン、
4/27(日)国内・外の巨大TOYマーケット「スーパーフェスティバル 65」東京科学技術館にて、スペシャルイベントの司会を務めます、
5/10(土)大阪でのオールにてトークライブ「新耳袋 大阪編 1」Loft PulusOne West、
5月末に発売予定の書籍「九十九怪談 第七夜」(角川書店)「九十九怪談 文庫 第五夜」(角川文庫)
そして6月末発売予定の書籍「隣之怪 第六夜」(角川書店)「隣之怪 第四夜」(角川文庫)
と、まだまだこれから情報解禁を待って、続々と書籍やコミック、イベントが盛り沢山です。

小泉八雲さんと共にアイルランドよりご縁を頂戴した「松江怪談談義」も7月に予定しておりますので、怪談の夏、「新耳袋25周年」のこの夏をどうぞお楽しみに!















詳しくは、

Twitter @KiharaHirokatsu

にてお知らせしていますので、チェック下さいね!






木原浩勝 :Hirokatsu KIHARA Profile


怪異蒐集家を自称する木原浩勝は、日本を代表する怪談作家にとどまらず、イベントやトークショーの司会者、出版・映像を軸にしたマルチメディアプランナーとして日本の新しい文化を常に作り出しています。

「怖いばかりが怪談ではない」を生涯のテーマに掲げた彼の代表作は怪談「新耳袋」(中山市朗共著)。既にシリーズ130万部を突破し、発刊25周年を迎える今でも、TVシリーズ、映画、ゲーム、コミック、デジタルコンテンツ化の勢いが衰える事なく、多くのファンを魅了し続けています。
更に、「九十九怪談」「隣之怪」「禁忌楼」など、読み手にとっても斬新な切り口で怪談の著作活動を続けており、多くの出版社、クリエーターと共に、新たなる怪談の世界を世に送り続けています。

イベントプランナーとしては、真夜中に行われるにも関わらず常に満員の「新耳袋」トークライブが2014年には通算100回目を迎える他、島根県松江市での「松江怪談談義」、声優による朗読会「怪し会」など、怪談イベントの場を確固たるものにしています。

また、シリーズ300万部を突破した「空想科学読本」の出版企画実績や、その薀蓄や分野の洞察により「京都怪獣映画祭」、日本最大級規模フィギュアイベント「スーパーフェスティバル」、漫画家・楳図かずお氏の「楳図カーニバル」等、マンガ、アニメ、怪獣、特撮のジャンルにおいても今や、年間に約20本を超えるイベント司会をこなしています。

近年では、元・スタジオジブリ制作デスクとして「となりのトトロ」「魔女の宅急便」等、多くの作品を手がけた実績より、2013年アイルランド・ゴールウェイ等へ招聘され、日本のアニメ文化を伝えるべく文化講演活動も開始することになり、海外からも高い評価を頂いております。

そもそも幼少の頃から、怪談を聞き集め、怪獣やアニメを趣味に育ち、大阪芸術大学を卒業。スタジオジブリで宮崎駿監督の元でアニメ制作に携わった後退社。その後も趣味であった怪談や怪獣、アニメを仕事とし現在に至ります。

木原浩勝はいつも作品を楽しんで頂くお客様に、作品を共に作り上げて下さる関係協力者に、そして色々な話を聞かせて頂けるご縁のあった全ての皆様にいつも感謝しております。

「日本のみならず、海外にも!」を合い言葉に、怪談だけでなく、日本の新しい文化を伝えるべく、力強く新たな作品を生み出し続けます






Hirokatsu Kihara who calls himself “Kaii-shushu-ka or Mystery collector” is not just one of the most popular ghost story writers in Japan. He takes a role as a host in events and talk shows and as a multimedia planner who creates new Japanese culture.

“Just because it’s a ghost story doesn’t mean it’s scary” he says. Kihara has been dedicating his life to “Shin-mimi-bukuro” – a masterpiece of his works. The serials have been selling over 1.3 million copies and attracting many fans through TV, movies, games, comics and digital contents even after their 25th anniversary. In addition, he keeps writing books such as “Tsukumo Kwaidan”, “Tonari-no-kai “,”Kinkiro“ and shares his own new ghost story worlds with many other publishers and creators.

In 2014, he will give his 100th public talk on “Shin-mimi-bukuro” in a hall which is usually packed even during the midnight. He has consolidated his position as an event planner by producing other ghost story events such as “Matsue Kwaidan” in Shimane and “Ayakashi-kai” where professional voice actors read ghost stories before the audience.

Kihara also arranged to publish “Kuuso-kagaku-dokuhon”, serial science fiction, which sold over 3million copies. His broad knowledge and great insights have been making him a unique and indispensable host in more than 20 events a year such as “Kyoto monsters film festival”, “Super Festival (one of the Japan’s biggest figure event)” and Japan’s famous comic book creator Umezu Kazuo’s “Umezu Carnival”.

Young Kihara gained his currier as a managing editor at Studio GHIBLI and undertook world-famous Miyazaki animations such as “My neighbor Totoro“, “Kiki’s Delivery Service” etc. In late years, he was invited to Galway, Ireland because of this. He talked to the locals about Japan’s animation culture and this was highly valued from abroad.

As a child, he was always interested in ghost stories. His favorites were monsters and animations and he graduated from Osaka University of Arts. He worked under Hayao Miyazaki of Studio GHIBLI for years and started taking a new path to specialize in the fields of ghost stories and monsters in addition to animations.

Kihara is always grateful to fans and all the people who help him with his works and who tell him interesting stories. And now he believes it is time for him to introduce Japan’s new part of culture to both Japan and overseas through his future works.