2009年7月3日、アイルランド共和国のメアリ-・マカリ-ス大統領は米国からやってきた一人の男と握手を交わした。
彼の名前は、Daniel M Rooney
アイルランドに興味があるのであれば
必ず覚えておくべき名前だ。
アメリカ合衆国 アイルランド全権大使
アメリカプロフットボウル(NFL) ピッツバ-グスティ-ラ-ズオ-ナ-
アメリカとアイルランドの発展に最も寄与した人
影のノ-ベル平和賞受賞者
彼を表現するにはあまりに偉大すぎていくら紙があっても足りないくらい・・・
さて、このときは米国の全権アイルランド共和国大使としてメアリ-大統領に
宣誓をしにダブリンに来たのである。
ここでアメリカ全権大使がどう、アイルランドと関わりがあるのか興味が湧くところ・・・
ル-ニ-氏の人生の歴史はアイルランドの歴史でもある、ということを
わかりやすく簡潔に記したい。
ル-ニ氏は劣悪な経済環境に苦しむアイルランド移民の家系である
Art Roony Sirを父として生まれた。
最初にアイルランドを訪ねたのが1971年
アイルランドへの祖国への愛情はこの時からはじまったとされる。
1971年と言えばアイルランドはどのような世相であったのであろうか?
1969年から30年以上、激しいテロや血を流す暴力によって
3000人以上の犠牲者を出した
「北アイルランド紛争」
簡潔に言って北アイルランド紛争とは
地域人口の約40%を占める
カトリック系住民が「アイルランド帰属」を求め、英国領土の現状を守ろうとする
多数派のプロテスタント住民と対立し続けてきた
英国とアイルランドの
怨念を背景にした世界的紛争である。
いまだに
「あ、アイルランドってテロがあって危険なところでしょ」
という人がいるのはここに起因する。
1970年初頭、ル-ニ-氏は家族に会いにアイルランドのニュ-リ-という町を訪ねる
ここはアイルランドと北アイルランドの「国境の町」・・・
そこで彼が見た光景は惨憺たるものであった
容赦のない暴力、片腕が爆弾でとれた婦人や子供、あらゆる手段で破壊された町・・
爆薬の異臭に覆われた町、血の臭いが漂う町
殺気だった市民の虚ろな表情・・・・
その光景は、続いて訪ねたベルファスト・デリ-でも同じものだった
彼の心には大きな傷がつき、変革への決意が決心された瞬間だった
ル-ニ-氏は今でこそアメリカスポ-ツ界の巨人
アイルランド和平・発展への惜しみない尽力者
として世界にその名をしられているが、彼のスタ-トは家族とはじめた
小さなPOP SHOP
もともと私心がなくリベラルな発想で汗を流すことを苦としなかった。
ル-ニ-氏はアイルランドで何千人もの低所得労働階級者とともに汗を流し
そして和平・寛容の大切さを市民と対話してきた「粘りの人」であり
ジョンヒュ-ムやデイビットトリンブルといった政治リ-ダ-との議論を交わした。
ジョン・ヒュ-ムの名前も覚えておくべきであろう。
北アイルランドを代表する政治家
ジョンは北アイルランドのデリ-で生まれた。
当時は英国統治下のもとカソリックに対するあからさまな
「差別」で
まともな雇用、まともな住居もままならなく苦しんでいた
詩人の同級生と出会い、司祭になるための勉学を始めたが途中でやめ
故郷で教師になった
北アイルランド紛争の当時、市民権運動家として頭角をあらわし
ル-ニ-氏や同じくデイビットトリンブル氏とともに
市民に対しての、争いの無意味さを説き
のちのアイルランド和平プロセスに最も多大な貢献をした。
ジョンヒュ-ムの枕にはマ-チ-ル-サキングJr等の本があったという。
暴力につつまれたベルファスト
そんななかでもジョンは決して手をあげることのない
生粋の和平市民運動の立役者であった・・・
のちの1985年英愛合意・1998年のベルファスト合意など
和平への多大な功績が世界で認められ
ジョンヒュ-ムとデイビットトリンブルは
1998年
ノ-ベル平和賞受賞
当然その背景には
Sir Daniel M Rooney の多大な尽力があったことを忘れてはならない
アメリカで最強のプロフットボ-ルチ-ム
「ピッツバ-グスティ-ラ-ズ」を作り上げたル-ニ-氏
リ-グに根付く差別をなくすため
アフリカンアメリカンのコ-チ登用へのフェアなシステム
「Rooney Rules」
など導入するなど、その活躍は衰えることがない
今日、ここで紹介したことは
彼らの成したことのほんの少しにしか過ぎない。
ただ、現在世界からツ-リスト・企業が数多く訪ねる
緑豊かなアイルランド共和国が存在するのも
ル-ニ-氏の渾身の努力があったことは忘れてはいけない・・・・
「争いの絶えない紛争国家」から「世界一豊かで住みやすい国」へ
劇的な変貌を遂げたアイルランド共和国
その主人公はSir Daniel M Rooney
ぜひ忘れないでいただきたい・・・
「アイルランドに栄光あれ」・・・・
PHOTO SPECIAL THANKS Falite Ireland 2010