「アイルランドとポーランド」
ゴールウェイはレースウィークが終わったとたん雨の日が続いています。アイルランドでは8月1日から公式に秋なのでもう秋の長雨なのでしょうか?
さてさて、わたくしわかふぇのよしみ、秋と言ってもまだまだ繁忙期、でもその真っただ中にポーランドへホリデーに行って参りました。というのも、この6月までわかふぇで2年間働いてくれていたポーランド人のアグネシカが8年の婚約期間を経て同じくポーランド人の彼氏と結婚することになったのでその結婚式に参加するために1週間の休みを取ってポーランド第二の都市クラクフに行って来たのでした。はじめ結婚式へのご招待を受けた時は、ええ?なんでまたこの一番忙しい時に?無理でしょう?と思っていましたが、彼女の熱心な招待と、なによりもこの2年間一緒に働き仕事だけでなくプライベートでも苦楽を共にし、アグネシカはわたしにとって大事な友達のひとりとなっていたので、是非結婚式に参加してお祝いしてあげたい、と思って決断したのでした。
そしてそう思っていたのはわたしだけでなく、他のわかふぇメンバーも同じで、わかふぇのヘッドシェフで韓国人のオリーブもホリデーを取り、この春にやはり2年以上働いて退職したハンガリー人のビラグもハンガリーから参加し、約半分のわかふぇスタッフ(現/元含めて)がポーランドまでやって来てアグネシカの結婚式をお祝いすることになりました。
結婚披露宴で私が座ったテーブルはアイルランドから来た招待客が勢ぞろいのアイリッシュテーブルとなりました。
ポーランドの結婚披露宴は派手な結婚式をするアイルランド人もびっくりするくらい「飲む・食べる・踊る」しかも長時間の過酷(笑)いやはや大変盛大なものでした。ポーランドの古くからのしきたりによると参加者全員が3日3晩踊り明かすらしいですが、大都市ではこれが1-2日に短縮されているのだそうです。クラクフはポーランド第2の都市なので2日間の短縮版でした。(笑)
教会での厳かな結婚式を終えた後、ホテルに移動して16時に披露宴が始まりました。まずはみんなで歌を歌ってウォッカで乾杯!そして食事がサーブされ始めます。実はアグネシカの為に披露宴の食事の1コースにわかふぇ名物のsushi rollを出してあげたいと思い、会場の許可を得て、結婚式当日朝から仕込んで100人分の巻き寿司を調理場に持ち込んでいました。シェフに何時くらいにサーブされるのか、と聞いたら「21時頃かな?」。「あの、これスターターなんですけど・・・」というと、「はい、そうですよ」という答えが返ってきました。
話には聞いていましたが本当でした。。ポーランドのスタンダードな披露宴での食事はコースで10コース以上。スターターが何皿も出てきた後、メインコースが数皿続き、デザートももちろんあります。そしてテーブルにはいつでもつまめるようにフィンガーフードが山となっています。これらを一晩かけて食べるのです。また食事だけでなく、ウォッカは必須アイテムで、1皿食べ終わるごとにウォッカのショットを一気飲みし、踊り、また次の食事に戻る、という・・・これを延々一晩中続けてするのがポーランド式の結婚のお祝いだそうです。
不思議とこれだけ食べて飲んでも1皿ごとに踊りが入るとそのうちまたお腹が空いてくるし、アルコールも分解されるようで、ポーランド人たちは楽しそうに朝の5時まで(近親者は朝7時半まで)会場に残って宴会を楽しんでいました。
しかし・・・面白いことにアイリッシュテーブルの男性4人は01:00頃までに全滅。酔っぱらってしまってどうにもならず部屋へ戻っていきました。これは私の考察ですが、アイルランドのほとんどのパブは法律により11時半にオーダーストップとなりそれ以降のアルコールの販売は禁止となるので、基本アイルランドでは日本や他の国のように「今日はオールで飲み会♪」なんてことをあまりしません。パブの閉店直前にパイントをあと1-2杯頼み、飲み干して家に帰る、というのが通常で一晩かけてアルコールを飲むことに慣れていないアイリッシュガイズ達はウォッカのアルコールの強さと長時間にわたる宴会のサバイブの目算を間違えたのでしょう。
ちなみにわたしは朝の5時まで楽しく食べて飲んで踊って来ましたよん♪
余談ですが、日本人なら誰でも歌える「森へ行きましょう」は実はポーランド民謡ってこと知っていましたか?それを知ってからこの歌を是非結婚式で歌って新郎新婦をびっくりさせよう、とたくらんでいたのですが、宴会の途中のゲームで突然わたしがステージに呼ばれ、何かと思ったら突然この曲がかかり、サプライズさせよう、と思っていたのに逆にサプライズさせられてしました。(笑)もちろんちゃんと歌ってきました!
家族友達を大事にし、新しいカップルの門出の喜びをみんなで分かち合おうという、気持ちでいっぱいのなかなか心温まるステキなポーリッシュウェディングでした。そしてわたしも気の置けない友達たちと思いっきり羽を伸ばしてホリデーを楽しんできたのでした。
さて、ここからはアイルランドとポーランドの意外に親密な結びつきについてお話しましょう。
EU統合以来、EU協定加盟国内での行き来が自由になりました。1990年代に始まった「ケルティックタイガー」と呼ばれるアイルランドの好景気、まだ上り調子だった2000年に入るあたりからアイルランドには仕事を求めてたくさんの外国人労働者が流入しました。アイルランドは最低賃金が高くまた英語を話す国ということで、EU圏内からたくさんの人たちが仕事を求めてやってきました。初めはスペインやイタリアからの外国人労働者が多かったのですが2004年のEU拡大に伴い、新たな加盟国であったポーランドからの出稼ぎが大急増しました。統計によるとポーランドのその頃の月別最低賃金は182ユーロ。アイルランドでは月1,183ユーロ。当時、ポーランドでは博士号を持つ人や医師や弁護士といったいわゆるエリートの人々でさえ、ポーランド国内で稼ぐより、アイルランドで工事現場や皿洗い等の仕事をした方がお金になるという理由で祖国を後にする人が後をたたなかったそうです。2004年のEU加盟時に自国の労働市場をポーランド人に開放した国はアイルランドの他に英国、スウェーデンがあり、そこにもたくさんのポーランド人が出稼ぎに向かったそうです。
ポーランド人は白い肌、青い目、明るい髪の色、と見た目がアイルランド人と似ており、英語が達者なひとも多いので、アイルランド人の中に入り込んでしまうと、あまり見分けがつきません。そして彼らはとても働き者で労働に対するスタンダードも高いのでアイリッシュマーケットの労働市場にそれ程の摩擦もなくすんなり受け入れられて行ったようです。ポーランドはヨーロッパでも有数の教育レベルの高い国であり、既に労働力として技術を身に付けていたりの熟練度が高かったりするのでアイルランドで重宝されました。とにかくポーランド人はよく働く。真面目で節約と貯蓄に励みます。「ポーランド人は残業も休日出勤も嫌がらない。アイルランド人は例え休日出勤手当を5割りつけても嫌がるし、週明けの月曜は普通に二日酔いを理由に病欠を申請する。だから雇い主は黙々と良く働くポーランド人のおかげで大助かり。」と言っている人がいるくらい、事業主にとっては安いコストで文句も言わず黙々と質の高い仕事をしてくれるポーランド人をどんどん雇っていきました。
バブル経済の日本でいわゆる「3K」「きつい・汚い・危険」の仕事に付いていたのが、外国人だったように、ケルティックタイガー好景気において「3K」についていたのが主にポーランド人です。朝早くまたは夜遅くに働かなければならないような仕事、長時間の仕事、工事現場、ゴミ収集車、ホテルマン、レストランの皿洗い等、裏方の現場はほとんどがポーランド人でした。2007年くらいまではこのような状態が続きました。
私の友達のポーランド人のミハウが言うには2006年アイルランドに滞在していたポーランド人の数は20万人。アイルランドの人口が420万人、ダブリンの人口がその人口の4分の1である100万人、ということはまさに約20人にひとりはポーランド人だったことになります。その当時私たちは冗談で「10人に一人くらいの割合でポーランド人がいる」と言っていましたがあながち嘘でもなかったそうです。でもそれくらいどこへ行ってもポーランド人だらけでした。そのおかげで、今ではどこにいっても大型スーパーの食品売り場にはポーランド食品専門コーナーがあるし、街中にもポーリッシュショップがちょこちょこできました。
ある経済学者によると、ポーランド人労働者の流入増によってアイルランド国内の消費需要と住宅需要が増加し、需要面から国民経済を支える重要な要素となった、とありますが、陰りを見せていたとはいえまだケルティックタイガーが元気だったころ、建設ラッシュだった2004-2006年ごろの工事現場の労働者のほとんどはポーランド人で、このような景気のいい人たちが、パブに繰り出し、これまたアイルランド人と似て酒好きなポーランド人、大きなお金を落としていました。そんなことも景気促進の一端を担っていたのも当時わたしもこの目で見ていました。
大きな消費を生み出していたとはいえ彼らの目的はお金をためること、そしていつかポーランドに帰って家を建てること。数年切り詰めた生活をしたら祖国に戻って大きな家が建つのです。最近2004年ごろに来ていたポーランド人のUターンが始まっています。わかふぇで2年働いてくれたアグネシカもそんな一人でした。ポーランド人のボーイフレンド(今は旦那)と2005年にやって来てその頃もう既に婚約していたのですが、アイルランドには、結婚資金をためる為と、若いうちに外国暮らしをして見聞を広めるために来たと言っていました。そして、6年間のアイルランド滞在中に目的を果たし、今年帰国していきました。
私のポーランド滞在中、実際たくさんのアイルランド御殿が建っているのを目にしました。ちいさな村の中にも「あそこんちの息子がアイルランドに行っていた」とか「うちのいとこが行っていてね」と数件の御殿がありました。アイルランドで何年か切り詰めた生活をしてお金を貯めればポーランドで立派な家が建てられるのです。
しかし、そのセオリーが変わって来たのが最近です。2007年世界金融危機がぼっ発し、去年から始まったアイルランドの経済危機を境にポーランド人のアイルランドからの撤退、そしてアイルランド人のポーランドへの移民労働者が増えているというのです!要因としては、アイルランドの不景気、ポーランドの好景気があります。ユーロ圏の財政危機のなか、EUに参加したとはいえユーロ通貨にまだ加盟しておらず独自の経済を保っているポーランド、今やEUの中では優等生です。ヨーロッパが深刻な不況に陥った2009年にヨーロッパで唯一プラスの経済成長率を達成し、以前から行っていたポーランド独特の非常にユニークな経済政策が、世界から注目を浴びるようになったそうです。一方、最近アイルランドは景気が下向きになり仕事も減りました。解雇の最初のターゲットになるのは外国人労働者です。そう、多くのポーランド人も職を失いました。それに伴いアイルランドにいる間に英語を習得し、英語圏の習慣やビジネスのノウハウを身に付けポーランド人が今度は自国に戻り一旗揚げようとUターンが始まりました。それと時を同じくして今度はアイルランドからポーランド移民が始まりました。特徴的なのが2009年のアメリカのパソコンメーカーであるDellのアイルランド撤退です。賃金がより安く英語を話す人材があるということで欧州の生産拠点をアイルランドからポーランドに移しました。また人材もアイルランドからポーランドへの流出が増えています。不景気のアイルランドから仕事を求めて景気のいいポーランドへのアイルランド人出稼ぎが増えているということです。宗教的にアイルランド、ポーランドともに敬けんなカトリックの国であり、また文化的にポーランドは古代から欧州内陸のケルト文化を民族文化として今でも色濃く残し、自然に近い暮らしを好むポーランド人の気質はアイルランド人と共通するので、アイルランド人にとってポーランドは非常になじみやすい社会であるらしく、近年アイルランド人のポーランド移民がかなり増えているそうです。
最近アイルランド人とポーランド人のカップルが増えています。国籍が違っても宗教が同じというのは意外と結婚するにしても障害が少なくすんなりと事が運ぶようです。先週末会ったアイルランド人の友達のうち2人の彼女がポーリッシュでした。今後もっとアイルランド人とポーランド人のミックスが進んでいくのでしょうか?
さあ、もう秋風が吹いてきました。
日本でもそろそろ新学期が始まりますね。
新しい季節、始まりに向かって、今日も張り切ってまいりましょう~♪
よしみ@わかふぇ
Photo Courtesy:YOSHIMI HAYAKAWA
(アイルランド共和国現地 8/25ゴールウェイ電)
#参考 Poland’s Currency Lifts Economy~NY Times.com
http://www.nytimes.com/2010/12/07/business/global/07zloty.html?_r=2