3/11に発生した東日本大震災により、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よ
りお祈り申し上げますと共に、被害を受けられたみなさまの、その御家族に心か
らお見舞い申し上げます。アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン(INJ)で
は、日本在住のアイリッシュ、その家族や友人、知人、そして仕事や研究、留
学、趣味などを介してアイルランドと関係が深い皆さんと被災された方々を年間
を通して支援していこうと考え、この主旨に賛同いただいた皆さんと「IRELAND
supports JAPAN」を基金として設立、できるだけ多くの方々の協力のもと、アイ
ルランドらしい、息の長い支援を行っていきたいと考えています。ハートは
「愛」、両手は「友情」を表すクラダリングをモチーフにAcademy 関係者の方
が、この素敵なロゴをデザインいただきました。集まったお金をどのように活用
していくべきか、現在、模索中ですが、状況に応じて有効な方法を見つけていく
つもりです。主旨に賛同いただき、御協力いただけるという方がいらっしゃいま
したら遠慮なく inj-info2@inj.or.jp
までご連絡ください。
また、ここにISJファ-ストイベント「東日本大震災被災地支援チャリティイベント タカ・ハヤシアイリッシュダンスアカデミー2ndリサイタル」が無事開催できましたことを
報告するとともに、皆様のあたたかいご支援に心より御礼申し上げます。
募金箱合計:¥89,522-
今後のISJ活動は逐次公式HP、ツイッター、メールマガジン、Facebookなどにて
報告してまいります。
謹白
遥か彼方、ファーウエストのアイルランドから日本の復興を願い・・・・・
レイラインの聖地にはしばしば巨岩が鎮座している.
なぜ聖地には巨岩が必要なのだろう。そこは「神がかり」をしやすい場所。シャーマンは神かがりをして、神や異界と交信する。巨岩はこの世とあの世を結びつける境界であり、この世の生命の根源である太陽と出会う場所である~荒俣宏
http://www.meath.ie/Tourism/Heritage/Newgrange/
INJ副代表 冨山 www.inj.or.jp
古代からアイルランドでは、人々が神々の誕生と生命を祝い敬う聖地がある。
神の癒しを賜り、季節の祭りを行い、我が「いのち」に感謝する。遥か彼方、ファーウエストのアイルランドから日本の復興を願い・・・・・
LEY LINE 復興への光
レイラインの聖地にはしばしば巨岩が鎮座している.
なぜ聖地には巨岩が必要なのだろう。そこは「神がかり」をしやすい場所。シャーマンは神かがりをして、神や異界と交信する。巨岩はこの世とあの世を結びつける境界であり、この世の生命の根源である太陽と出会う場所である~荒俣宏
Newgrange(Ireland) ~ Stonehenge(UK)
PHOTOWAVE
参考:ニューグレンジ
(Wikipedia UKより引用抜粋)
ニューグレンジ(英語: Newgrange、アイルランド語: Sí an Bhrú)は、アイルランド・ミース州のブルー・ナ・ボーニャ遺跡群にある羨道墳の1つ。世界的にも有名な先史時代の遺跡の1つであり、アイルランド島で最も有名な先史時代の遺跡である。1年で最も日が短い冬至の明け方、太陽光が長い羨道に真っ直ぐ入射し、部屋の床を短時間だけ照らすように建設されている。
本来のニューグレンジは、紀元前3100年から紀元前2900年の間に建設された。つまり約5000年前のものである。放射性炭素年代測定によれば、エジプトのギザの大ピラミッドよりも500年ほど古く、ストーンヘンジよりも約1000年先行している。
新石器時代には、ニューグレンジが何らかの儀式に使われ続けたと見られている。新たな記念碑として、中央の塚の南東の環状木柱列や西の小さな環状木柱列が追加された。東の環状木柱列は穴が5重の同心円状に並んでいる。外側の穴の列には木柱も残っていた。次の列の穴は内側が粘土で覆われていて、動物の死骸を燃やすのに使われていた。さらに内側の3つの穴の列には動物の骨を埋めるのに使われていた。この環状木柱列からは、ビーカー式土器や燧石の破片が見つかっている。西の環状木柱列には掘立柱の跡が二重の同心円状に並び、その直径は20メートルである。
塚の南側と西側の周辺に粘土の同心円状の塚が建設され、それ以前にあった柱(一部、燃えた跡がある)と溝の2本の平行線から成る構造を覆っている。塚を取り巻くように、大きな石を環状に並べた構造が建設されている。入り口付近には17カ所で火を灯した跡がある。ニューグレンジのこのような構造はブルー・ナ・ボーニャのいくつかのヘンジ(Newgrange Site A、Newgrange Site O、Dowth Henge、Monknewtown Henge)と共通である。
ニューグレンジの塚は差し渡し76メートル、高さ12メートルで、面積は0.4ヘクタールである。塚の内部には塚の差し渡しの3分の1ほどの長い通路が真っ直ぐ伸びていて、その先端に十字型の部屋がある。通路自体は18メートル以上ある。墓室と思われる部屋の屋根は持送りアーチになっていて、最高点は床から6メートルの高さである。屋根は5000年の間そのまま保持され、防水性も保ったままだった。
年に1度冬至の朝、日の出の際の太陽光が約17メートルの長い通路に射し込み、部屋の床を照らす。偶然このようになったとは考えにくい。M. J. O'Kelly は1967年12月21日、現代人としては初めてこのイベントを観測した。
太陽光は、おそらくこのために考案されたと思われるルーフボックスと呼ばれる入り口のすぐ上の開口部から射し込む。羨道墳でこのように太陽光を考慮して設計されたものは一般的ではなく、ルーフボックスを備えた数少ない羨道墳である(他に Carrowkeel Megalithic Cemetery の Cairn G がある)。ルーフボックスは入り口の上にあるため、やや斜め上方から日光が射し込むため、石室の床が照らされることになる。
現在は日の出から4分後に日光が射し込むようになっているが、地球の歳差に基づいて計算すると、5000年前には日の出と同時に日光が射し込んでいた。ニューグレンジの正確さは、同様な現象が見られるドウスやスコットランド沖にあるオークニー諸島のメイズハウよりもずっと高度である。
今では、ニューグレンジを訪れた観光客にこのイベントを再現して見せるため、電灯を使っている。ツアーの最後に観光客が石室にいる状態で照明を切り、冬至の日の出方向から電灯で石室を照らす。このため、どの時期に訪れても冬至のイベントを疑似体験できる。また、ニューグレンジを訪れた人々にはくじが配布され、抽選で何人かが冬至当日のイベントに招待される。このくじの導入と電灯を使ったイベントの再現により、ニューグレンジは人気の観光地となっている。
アイルランド神話によれば、ニューグレンジは妖精 (sidhe) の塚であり、トゥアハ・デ・ダナーンが住んでいた。ダグザ神が建てたが、息子オェングスが後に父からそれを騙し取った。オェングスの母である女神ボアーンの名を冠している。ボアーンはまた、ボイン川を作ったとされている。別の物語では、英雄クー・フーリンが建てたとされている。ニューグレンジにまつわる神話はアイルランドの歴史と神話のうちでもケルト人の時代のものが多いが、この遺跡はケルト時代の2000年以上前から存在していた。
参考:ストーンヘンジ
(Wikipedia UKより引用抜粋)
ストーンヘンジ(Stonehenge)は、ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する環状列石(ストーンサークル)のこと。現在のイギリス人、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。ストーンヘンジは北緯51度10分43.9秒西経1度49分6秒に所在する。
円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
この遺跡とその周辺は、30kmほど離れたエーヴベリーの遺跡群とあわせストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群として1986年にユネスコの世界遺産に加えられた。また、登録古代モニュメントとして法的に保護されている。ストーンヘンジ自体は英国の国家遺産として保有・管理されている。周辺はナショナル・トラストが保有している。
ニューグレンジ(英語: Newgrange、アイルランド語: Sí an Bhrú)は、アイルランド・ミース州のブルー・ナ・ボーニャ遺跡群にある羨道墳の1つ。世界的にも有名な先史時代の遺跡の1つであり、アイルランド島で最も有名な先史時代の遺跡である。1年で最も日が短い冬至の明け方、太陽光が長い羨道に真っ直ぐ入射し、部屋の床を短時間だけ照らすように建設されている。
本来のニューグレンジは、紀元前3100年から紀元前2900年の間に建設された。つまり約5000年前のものである。放射性炭素年代測定によれば、エジプトのギザの大ピラミッドよりも500年ほど古く、ストーンヘンジよりも約1000年先行している。
新石器時代には、ニューグレンジが何らかの儀式に使われ続けたと見られている。新たな記念碑として、中央の塚の南東の環状木柱列や西の小さな環状木柱列が追加された。東の環状木柱列は穴が5重の同心円状に並んでいる。外側の穴の列には木柱も残っていた。次の列の穴は内側が粘土で覆われていて、動物の死骸を燃やすのに使われていた。さらに内側の3つの穴の列には動物の骨を埋めるのに使われていた。この環状木柱列からは、ビーカー式土器や燧石の破片が見つかっている。西の環状木柱列には掘立柱の跡が二重の同心円状に並び、その直径は20メートルである。
塚の南側と西側の周辺に粘土の同心円状の塚が建設され、それ以前にあった柱(一部、燃えた跡がある)と溝の2本の平行線から成る構造を覆っている。塚を取り巻くように、大きな石を環状に並べた構造が建設されている。入り口付近には17カ所で火を灯した跡がある。ニューグレンジのこのような構造はブルー・ナ・ボーニャのいくつかのヘンジ(Newgrange Site A、Newgrange Site O、Dowth Henge、Monknewtown Henge)と共通である。
ニューグレンジの塚は差し渡し76メートル、高さ12メートルで、面積は0.4ヘクタールである。塚の内部には塚の差し渡しの3分の1ほどの長い通路が真っ直ぐ伸びていて、その先端に十字型の部屋がある。通路自体は18メートル以上ある。墓室と思われる部屋の屋根は持送りアーチになっていて、最高点は床から6メートルの高さである。屋根は5000年の間そのまま保持され、防水性も保ったままだった。
年に1度冬至の朝、日の出の際の太陽光が約17メートルの長い通路に射し込み、部屋の床を照らす。偶然このようになったとは考えにくい。M. J. O'Kelly は1967年12月21日、現代人としては初めてこのイベントを観測した。
太陽光は、おそらくこのために考案されたと思われるルーフボックスと呼ばれる入り口のすぐ上の開口部から射し込む。羨道墳でこのように太陽光を考慮して設計されたものは一般的ではなく、ルーフボックスを備えた数少ない羨道墳である(他に Carrowkeel Megalithic Cemetery の Cairn G がある)。ルーフボックスは入り口の上にあるため、やや斜め上方から日光が射し込むため、石室の床が照らされることになる。
現在は日の出から4分後に日光が射し込むようになっているが、地球の歳差に基づいて計算すると、5000年前には日の出と同時に日光が射し込んでいた。ニューグレンジの正確さは、同様な現象が見られるドウスやスコットランド沖にあるオークニー諸島のメイズハウよりもずっと高度である。
今では、ニューグレンジを訪れた観光客にこのイベントを再現して見せるため、電灯を使っている。ツアーの最後に観光客が石室にいる状態で照明を切り、冬至の日の出方向から電灯で石室を照らす。このため、どの時期に訪れても冬至のイベントを疑似体験できる。また、ニューグレンジを訪れた人々にはくじが配布され、抽選で何人かが冬至当日のイベントに招待される。このくじの導入と電灯を使ったイベントの再現により、ニューグレンジは人気の観光地となっている。
アイルランド神話によれば、ニューグレンジは妖精 (sidhe) の塚であり、トゥアハ・デ・ダナーンが住んでいた。ダグザ神が建てたが、息子オェングスが後に父からそれを騙し取った。オェングスの母である女神ボアーンの名を冠している。ボアーンはまた、ボイン川を作ったとされている。別の物語では、英雄クー・フーリンが建てたとされている。ニューグレンジにまつわる神話はアイルランドの歴史と神話のうちでもケルト人の時代のものが多いが、この遺跡はケルト時代の2000年以上前から存在していた。
参考:ストーンヘンジ
(Wikipedia UKより引用抜粋)
ストーンヘンジ(Stonehenge)は、ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する環状列石(ストーンサークル)のこと。現在のイギリス人、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。ストーンヘンジは北緯51度10分43.9秒西経1度49分6秒に所在する。
円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
この遺跡とその周辺は、30kmほど離れたエーヴベリーの遺跡群とあわせストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群として1986年にユネスコの世界遺産に加えられた。また、登録古代モニュメントとして法的に保護されている。ストーンヘンジ自体は英国の国家遺産として保有・管理されている。周辺はナショナル・トラストが保有している。