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2013年10月4日金曜日

✰【INJ Essay】✰「What’s the craic? 天気は悪いが今日も元気!わかふぇよしみのゴールウェイ徒然草」Vol 29~ 「三国三様の小泉八雲」



「三国三様の小泉八雲」





みなさん、お元気ですか?

この夏、ご縁があり日本を代表する文学者、小泉八雲のひ孫で民俗学者の小泉凡さんの奥様である小泉祥子さんにお会いする機会がありました。
小泉八雲の遺蹟を伝え八雲文学の啓蒙活動をライフワークとしている、明るく聡明で素敵な女性です。


来年ギリシャ・レフカダ島で行われる予定の小泉八雲に関するシンポジウムの準備の為にギリシャに来ていた祥子さんとアテネ在住で小泉八雲が高じてまるで八雲伝道師になってしまったかのようなギリシャ人アート・ディレクターのタキス・エフスタシウさんと合流してアテネそしてその後ダブリンで御一緒してきました。


2014年は2つの「小泉八雲展」が開催される予定です。
ギリシャのレフカダ島ではシンポジウム、その後のダブリンでは「The Open Mind of Lafcadio Hearn」という名前のエキシビション。
2つの八雲のゆかりの地でのイベント準備の舞台裏をちょっとのぞかせていただきました。





































~小泉八雲 知る前・知った後~

アイルランド出身の文学者ということ以外、小泉八雲については歴史の教科書に載っていたのをうっすらと思えているくらいで、はっきり言ってほとんど知りませんでした。
(祥子さん、かたじけない・・・)

自分は彼の作品を読んだことがないと思っていましたが、耳なし芳一や雪女を「怪談」「Kwaidan」として世に広めた人物と聞いてあら~~~、なんと身近な人だったことよ、とびっくりしました。
ええ、ええ、覚えていますとも、お経を書き忘れた耳だけ取られてしまった琵琶法師の芳一。
はいはい、覚えていますとも、雪女。なんとなく鶴の恩返しとかぶってしまっていますが。。。


この夏、遊びに来ていた4歳になる姪っこが、ゴールウェイでタトゥをしている人をたくさん見て
「なんでみんな腕に落書きしているの?」というので、「耳なし芳一のようにおばけに見つかんないようにおまじないを書いているんだよ。」と説明してあげたばかりです。(冗談で!)

その時「耳なし芳一」という言葉を30年くらいぶりに使ったのに、この夏この言葉を何回も耳にすることになりびっくりです。
小泉八雲が、「耳なし芳一」のような昔から地方に残されていた民話や伝説を集め彼なりのエッセンスも加えて本にまとめて世に送り出してくれたお陰で、現代の私たちはこのような「ちょっと怖いお話」をお伽噺として世代を超えて楽しめているのです。


え~~、そうだったんだ~!とちょっと気になったので、小泉八雲の略歴と彼が残した作品について調べてみました。
(一番下にまとめてみましたのでご覧ください)























~日本を救った小泉八雲~

小泉八雲は「怪談」や「日本 一つの解明」というような著書を海外向けに英語で出版することにより、それまでよく知られてなかった日本の文化や日本人の精神性を外国に広めることに貢献しました。

これは小泉祥子さんから伺った話ですが、戦後日本を占領したGHQの元帥マッカーサーにはボナ―・フェラーズという副官がいて、この人物が実は小泉八雲の熱心な愛読者であり、彼が「天皇を裁判にかければ日本国民の精神的支柱を否定することになる」とマッカーサーに提言したお陰で天皇が戦犯とならず国の象徴となることとなったらしいです。
その後ボナ―と小泉家は交流を持ち、小泉八雲の直系のひ孫にあたる男の子が生まれた時、
ボナ―に送られた手紙には「子供が生まれました。「凡」という名前です。あなたの名前からいただきました。」とあったそうです。日本の精神の存続問題のピンチを間接的に救ったのが小泉八雲だったとは。。。
凡さんの名前のことも含めてとても素敵なお話しですね。



~お断り~


小泉八雲についてはいろいろな研究もされているかと思います。何の知識のない私がとやかく言うべきではないかもしれませんが、今回アテネ、ダブリンを旅し、小泉八雲に関していろいろな方にお会いし、話しを聞いたり、イベントの舞台裏を垣間見せていただいてとても面白いなぁと感じたことがありますので、それを書き留めておきたいと思います。

自分が見てきた範囲で感じたことをそのまま書いているので、違うこともたくさんあるかもしれませんが、ま、よしみ的解釈ということで御容赦のほどお願いいたします。





~ギリシャ、アテネにて・・・・ギリシャ代表、タキス・エフスタシウさんの話~


八雲オタク(ごめんなさい!)のタキスさんの案内でアクロポリスミュージアムや市内をご案内いただきながら、ラフカディオ(=小泉八雲)の話を聞きました。

『ラフカディオは非常にオープンな精神を持っていた。だからこそ、外へ外へと出て行き様々な土地に暮らしながらも彼流のやり方で融合して行き、すばらしい作品を世に残していったのだ。彼は2歳にしてギリシャを離れたけれども、彼が一生持っていたマインドはまさしく古代ギリシャ人が持ち合わせていた、ヘレニック(古代ギリシャ)マインドだった。』

ヘレニック、へラスとはそもそも古代ギリシャ人が自分たちを呼ぶ呼称だったようですが、それが転じて「ヘレニズム文化」という言葉ができたようです。
日本では「ヘレニズム文化」=「融合文化」と認識されていますよね。
その文化の特徴のひとつにはコスモポリタニズム(世界市民主義)ということがあったと言われています。

世界は一家、人類は兄弟、ということですか。。
アレキサンドロス大王による東邦遠征では、征服した土地では殺戮は行わず、混血を奨励して領土を広げて行ったということです。
古代ギリシャ人は常に自分とは違う価値観を持つ人たちがいることを意識しその人たちを尊重しようとする国際的な視野を持つ人々だったらしいです。
なんだか、小泉八雲の生き方にかぶりますね。

タキスさんは続けます。

『ギリシャ神話に代表されるように、古代ギリシャ人はたくさんの神様を信じていた。それはまるで日本神話の八百万の神に通じる。古代ギリシャ文化や精神は遠く日本まで影響があったかもしれない。ヘレニックの精神を持っていたラフカディオは日本の神話や神秘の世界にも当然のようにのめり込んで行ったのだろう。そして、彼の世界観、精神性や神秘の世界への興味と日本の文化の融合の結晶が、彼の残した作品である。』



法隆寺の柱は中央部分が丸みを帯びたエンタシスの形ですがこれは古代ギリシャの建築方法が伝えられたものとされています。実際パルテノン神殿の柱はそうとおりでした。
そうして古代ギリシャが日本に繋がっていたとすると、建築だけでなく様々なことがシルクロードを伝って伝来されたのかもしれません。
タキスさんの言う通り、神話や精神もそうかもしれません。
ここでは紹介しませんが、実際ギリシャ神話と日本の神話は非常に共通点の多いこともわかりました。


タキスさんの小泉八雲への熱意と愛はすさまじく、『日本人に帰化して小泉姓を名乗りたいくらいだ!』なんてことも言っていらっしゃいました。(笑)
アテネでひとり、本当に街の人会う人会う人に語りかけてヘレニックスの精神と小泉八雲の啓蒙活動に奮闘しているタキスさん、すごいミッションを背負ってこの世にやってきているのだなぁ、感心する事しきりのアテネ滞在でした。







~アイルランド・ダブリンにて・・・・・ポール・マレーさんの話~

少年期を過ごしたダブリンでも、小泉八雲オタクの方々(再度すみません!)が祥子さん方の来愛を待っておられました。

小泉八雲展「The Open Mind of Lafcadio Hearn」の会場として名乗りをあげている、Little Museumでの打ち合わせ。3人の紳士がお待ちになっていました。
そのうちのひとり、作家であり「吸血鬼」でおなじみのブラム・ストーカーや小泉八雲の研究もしているPaul Murray氏がこう語っていました。


『ダブリン時代の少年ハーン(小泉八雲)は、非常に怖がりだった。住んでいたジョージアン様式の建物の中に何かが見えるのか、何者かの影にいつもおびえていたハーン。このような体験によってハーンはより精神世界に興味を持ち、独自の世界を築いていったのだろう。ダブリンでの少年期の経験はその後の彼の生き方にとても強い影響を与えている。そしてそれが日本で「怪談」という形で昇華した。』






こんな話もあるそうです。
『叔母の家で同居していたジェーンというお姉さん。ハーンをとてもかわいがってくれていた。
ある日、ジェーンを見つけたので、声をかけると、振り返った彼女の顔はのっぺらぼうだった。。。恐れおののくハーン。そしてその数カ月後、彼女は死んでしまった。』

・・・・まるで怪談のような筋書きですね。。


彼が見たものは現実のものだったのか、それとも彼の想像が作りだした偶像だったのか。。。
もともとケルト文化には精霊や妖精を信じる風習があります。
ハーンは厳しいカトリック教の教えの中育ちますが、次第にケルト文化へ傾倒していったといいます。なんとか自分が見たものへの答えを見つけたかったのでしょうか。
日本に行ってやっとつじつまがあったのかもしれません。。


ポールは続けました。
『残念ながらハーンのことを知っているアイルランド人はここダブリンでさえほとんどいません。
しかし彼の行った功績は現代のアイルランドの少年少女に大きな夢を与えるはずです。怖がりの少年だったハーンが外の世界に出てゆき、世界的な文学者となったこと。私たちはこの偉大な人物をもっと知るべきですし、誇りに思うべきです。』


日本で知られているほどには、アイルランドでは小泉八雲=ラフカディオ・ハーンがアイルランド人であり、日本で国宝級の仕事をした、ということは知られていません。
アイルランドでももっともっと知られる存在になって行って欲しいです。



私にとって非常に面白かったのは、2つの国の人々が小泉八雲を通してそれぞれの国の文化を見ていることでした。
そして小泉八雲のことをとても自慢に思っていること。
だからこそ、ハーンは偉大な人物になったんだよ、と言わんばかりに。









~よしみ的小泉八雲観~


実際のハーンは「どっちでもいいよ」というのではないかしら?
小泉八雲展のタイトルになっている「open mind」とは。。きっと「どっちでもいいよ」ということじゃないのかなぁ、なんて推測しています。
さあ、やってみよう、見てみよう、見る人が判断すればいいよ、という感じでしょうか?

彼の名前はパトリック→ラフカディオ→八雲へ変遷しています。
しかも最後は日本人になってしまいます。
私のエッセイを読んでくれた方はご存知ですが、わたしもアイルランド人になるかならないかで眠れなくなるくらい悩んだ事があります。vol 26
帰化するということは相当の覚悟がないとなかなかできない事です。

国を捨てるという事ですから。
でも生まれからして、複雑だった小泉八雲にとっては、国籍とか人種とかそんなものは
大して重要でなかったのかもしれません。
八雲はその生き方によって私たちにopen mindとはどういうことかと、伝えてくれているのかもしれません。。。

それをやった小泉八雲は本当に何でも受け入れるopen mind な人だったのだろうと想像します。

彼は決して戻らない人だったと言います。
昔住んでいた土地には一度も戻ったことがない。
なかなかできることではありません。
人間、昔懐かしい場所にふと戻りたくなる時もあるのではないでしょうか?
それとも、彼は小さな頃からそう生きて行かなければ自分を保てなかったのかもしれません。
過去を振り返らず、前を向いて行くのみ・・・。
名前を変え、国籍を変え、常に新しい自分になり、その土地、土地で自分の居場所を見つけていく人生。
どんな人だったのだろう?と思います。
常に常に新しい場所を探していた。
そして見つけた。それにとことん溶け込もうとした。
そして自分が美しいと思う生き方をし、面白いと思うものを作品にして残そうとした。


日本に行き着いた小泉八雲がアメリカの友人に宛てた手紙には、こう書かれているそうです。
「私は強く日本にひかれています。・・・・この国で最も好きなのは、その国民、その素朴な人々です。
天国みたいです。世界中を見ても、これ以上に魅力的で、素朴で、純粋な民族を見つけることはできないでしょう。日本について書かれた本の中に、こういう魅力を描いたものは1冊もありません。私は、日本人の神々、習慣、着物、鳥が鳴くような歌い方、彼らの住まい、迷信、弱さのすべてを愛しています。・・・・私は自分の利益を考えず、できるなら、世界で最も 愛すべきこの国民のためにここにいたい。ここに根を降ろしたいと思っています」と・・・

わたしはこの話を聞いて、小泉八雲という人がとても好きになり日本の宝(笑)と自慢に思いました。



・・・・ということで、小泉八雲を巡るギリシャ、アイルランド、日本の三国三様の見方でした。
『僕んちの小泉八雲くん、すごいでしょ?』ということです。


さて、小泉八雲さん、あなたはどう思われますか??


~祈願~


2014年ギリシャ・レフカダ島とアイルランド・ダブリンでの「小泉八雲展」、乞うご期待です!!
大成功をお祈りしていますね!!




~小泉八雲 (こいずみやくも)について調べた事~


・帰化後の日本名、生まれ名はパトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn
・ギリシャ・レフカダ島生まれ、父はギリシャに軍医として来ていたアイルランド人、母はギリシャ人
2歳の時に父親の生まれ故郷、ダブリンへ移り住む。
6歳の頃、両親の離婚によりカトリック教徒の大叔母の元に預けられ厳しく育てられる。
(その後は両親に会っていないとか・・・)
・フランスやイギリスで教育を受ける。遊んでいたロープが左目に当たり失明。
16歳、父の死、大叔母の破産を機に、新境地を求めて外の世界へ飛び立っていく。
・ロンドンからアメリカへ渡り、20代~30代をシンシナティやニューオリンズでジャーナリストとして活躍する
・新境地アメリカではカトリック色の強い名前であるパトリックを捨てミドルネームであるラフカディオを通名とする。
・その後更なる新しい世界を求めて特派記者として日本へ渡る。その時40歳。
・文部省の斡旋で松江市で英語の教師となる。その後地元の士族の娘、小泉セツと結婚し三男一女をもうける
46歳、日本国籍を取得し小泉八雲と名乗る
・熊本、神戸、東京に移り住み、英語教師として教鞭をとる傍ら、執筆活動にも精を出す。
日本での主な著書:
・知られざる日本の面影 ( Glimpses of Unfamiliar Japan )
・日本雑録 ( A Japanese Miscellany )
・骨董 ( Kotto ) 
・怪談 ( Kwaidan )---耳なし芳一のはなし、むじな、ろくろ首、雪女、他
・ちりめん本---団子を失くしたお婆さん、ちんちん小袴、他


アイルランドは気持ちの良い秋晴れです!



さぁ、今日も元気にまいりましょう♪

(アイルランド現地10月2日ゴールウェイ電)

早川芳美@Wa Cafe

http://www.wacafe.net/


Special Thanks

Takis Efstathiou


SHOKO KOIZUMI
BON KOIZUMI







小泉八雲記念館特別企画展
〜ハーンを魅了した街とそのスケッチ〜

主催  NPO法人松江ツーリズム研究会・松江市
期間  105日(土)〜330日(日)
会場  小泉八雲記念館


小泉八雲記念館では10/5から来年3/30まで「ニューオーリンズとラフカディオ・ハーン:ハーンを魅了した街とそのスケッチ」展を開催します。
松江市とアメリカ:ルイジアナ州ニューオーリンズ市の友好都市提携20周年を記念し、ハーンがニューオーリンズ時代に手がけた挿絵入り新聞記事をパネルで紹介するほか、『クレオール料理』など著書の初版本、手紙などを展示します。是非皆様ご来館下さいませ!


























【八雲のふるさと、怪談のふるさと~松江の10月はニューオリンズ月間】

松江市とアメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズ市とは、1990年(平成2年)にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が縁で交流が始まり、1994年(平成6年)3月に友好都市提携を結んで以降、ジャズ演奏家招致、芸術家交流などの文化交流や、青少年交流を行ってきており、今年で20周年を迎えます。
10月6日(日)には、ニューオーリンズ市からの訪問団を迎えて、記念式典やジャズライブ、リトル・マルディグラ(演奏パレード)を行い、この日を「ニューオーリンズデー」として盛大に祝います。
また、10月を「ニューオーリンズ月間」として、小学校でのニューオーリンズ学習(調理実習及びニューオーリンズ紹介)、交流写真展、ジャズイベント等の各種イベントを用意して、ニューオーリンズに親しんでいただく月になります。皆様ふるってご参加下さいませ。




【主な関連事業】

松江市・ニューオーリンズ市友好都市提携20周年記念式典
1.日  時  10月6日(日) 10:00〜12:30
2.会  場  ホテル一畑 平安の間
3.出席者  ニューオーリンズ訪問団、来賓、応募市民  250人程度
4.内  容  <第1部:記念セレモニー>
          ◇松江市あいさつ
          ◇ニューオーリンズ市あいさつ
          ◇ニューオーリンズ市紹介、交流紹介
          ◇松江の子ども達による踊り披露
          ※ロビーでは、ニューオーリンズ交流写真展も行います。

        <第2部:ニューオーリンズジャズライブ>
          ◆サーシャ・マサカウスキ カリテット ライブ

※式典参加者を募集しています。

リトルマルディグラ
1.日  時  10月6日(日) 14:00〜17:00頃
                 ※12:00〜マルディグラグッズ(マスク等)のワークショップも開催します。

【パレード】 
14:00〜  市民活動センター(スティック)出発 ⇒ 松江大橋 ⇒ カラコロ広場
        ★見どころは、松江大橋上での「聖者の行進」の一斉演奏です。
       (参加バンド)10グループ 150人程度
        ☆ハチャトゥリアン楽団
        ☆中央きっずばんど
        ☆八雲スカイバンド
        ☆松江工業高校
        ☆湘南高校
        ☆市立女子高校
        ☆T−oasis
        ☆NGIバンド
        ☆ニューオリンズ倶楽部バンド 他

【ライブ】
15:30〜  サーシャ・マサカウスキ カルテット ライブ(カラコロ広場)
★パレード参加のバンドグループも15:00〜カラコロ広場、中央ビル前交差点、カラコロ工房の3箇所に分かれて演奏します。

※ 雨天時は、パレード及び屋外ライブは中止し、市民活動センター内の「交流ホール」にて訪問団と参加グループによる交流演奏会を行います。

 マルディグラ(仏:Mardi Gras)とは、キリスト教における謝肉祭(カーニバル)にあたるが、今では宗教色を消え、音楽やパレードが中心の祭りとして、欧米諸国で開催されている。
 ジャズ発祥の地、ニューオーリンズで毎年開催されるニューオーリンズ・マルディグラは、リオのカーニバル、アイルランドのセント・パトリックデー・パレードと並び賞される世界でも有数のカーニバルの一つ。
 このたび松江においても、松江版マルディグラを「リトル・マルディグラ」として実施するものです。   


ニューオーリンズ写真展 
1.期  間  9月28日(土)〜10月4日(金)
2.場  所  テルサ1階 アトリウムシャラ
        ※10月6日(日)は、記念式典を行うホテル一畑で写真展を行います。
3.テーマ  ◇両市の交流の経緯
        ◇小泉八雲が暮らしていたころのニューオーリンズ
         ◇現在のニューオーリンズ

小学生ニューオーリンズ学習 
 昨年、ニューオーリンズから持ち帰ったオクラを育てていただいた小学校の中から、数校においてニューオーリンズ料理の調理実習やニューオーリンズ市のことを知ってもらうための学習を行います。

◆美保関小学校
  10月11日(金) 10:55〜12:30頃まで

◆中央小学校 
  10月17日(木) 10:45〜12:30頃まで

◆島根小学校
  時期:未定

つのだ☆ひろ ジャズライブ 
1.日  時  10月27日(日) 19:00〜
2.場  所  メイビー(松江市寺町197)
3.入場料  4,000円

※前日の10月26日(土)
14:30(予定)〜 松江駅でミニライブを行います。 
19:00〜 松江水燈路「宮本美香サックスライブ」(興雲閣)にスペシャルゲストとして、「つのだ☆ひろ」さんが参加されます。 

小泉八雲記念館特別企画展
「ニューオーリンズとラフカディオ・ハーン」〜ハーンを魅了した街とそのスケッチ〜

1.主  催  NPO法人松江ツーリズム研究会・松江市
2.期  間  平成25年10月5日(土)〜平成26年3月30日(日) 
3.会  場  小泉八雲記念館

問い合わせ  小泉八雲記念館 Tel 21-2147

ニューオーリンズレクチャーコンサート
1.主  催  松江ニューオリンズ倶楽部
2.日  時  10月5日(土) 18:30〜
3.会  場  市民活動センター(スティック)
4.講  師  ピーター・バラカン、ジョン・クレアリー
5.入場料  【前売】4,000円 【当日】4,500円

問い合わせ  松江ニューオリンズ倶楽部 Tel 090-9410-8568 

発見!へるん先生のお気に入り 
1.主    催  NPO法人松江ツーリズム研究会
2.日    時  10月12日(土) 9:00〜
3.集合場 所  塩見茶屋(小泉八雲記念館前)出発 ⇒ 松江市内各所
4.参 加 料  1,000円 

問い合わせ  NPO法人松江ツーリズム研究会 Tel 23-5470