人口14万5502人(2011年統計)、総海岸距離684km,農場面積347,291ヘクタール、牛の数おおよそ32万頭、そして今年オールアイルランドシニアフットボールタイトルを獲得したGAAのクラブ数68。
これが絵葉書のような海岸美と美しいミドリに囲まれたケリー県の姿である。
ケリーといえば、そう、交通渋滞とは無縁の風光明媚な景勝ルートをコンスタントに速度100キロで延々走り、おいしい空気を、ほどよい風をともに味わえるケリー周遊路(リングオブケリー)が最高、ぜひクルマで走りたかった。
公共交通機関がないので手段としてはマイカー、レンタカー、キャンピングカー、観光周遊バス、バイク(自転車のバイクも)、徒歩(ランニング)といったものが考えられる。
そのすべてがここにはある。
ハンドルを握れば本格的なスーツを着た自転車軍団に遭遇するし、はたまたクラシックなオープンカーからハーレーダビッドソン族、リュックを背負ったハイカーまで実にそれぞれの姿でリングオブケリーをエンジョイしている光景が印象的だ。
チャーリー・チャップリンがこのエリアにゾッコンだったというのも頷ける、お薦めのドライブエリアなのだが、電波オタクの自分としてはバレンシア島(橋梁により本土と接続)をお薦めしたい。ここは1858年世界初の大西洋横断電信の発着地点ということで技術革新の地であったということは特筆に値する(厳密には大西洋横断海底電線の最初は1858年3月アイルランド:バレンシア島からカナダ:ニューファウンドランドに敷設。開通時には米:ブキャナン大統領と英:ビクトリア女王の間で挨拶通信が取り交わされる。フェイスブックのメッセンジャーでライブで挨拶する現代と比べると隔世の感がする)
「放送のルーツは船舶通信」と学生の頃、テレビのお偉い方に教わり興味をもったのだが、ここバレンシア島はニューヨークまでの最短距離に位置する、と言う理由で英米間の通信ルートとして1966年までここアイルランドのバレンシアを中継していたというから驚きである。もちろんこの通信の動脈は海底ケーブルである。
現代も多くの船舶航空電信の通信ハブがここアイルランドに存在するのも、こんな歴史があったからなのだ、と妙に納得した。
ちなみに当時のバレンシア島は大英帝国領ということになるが、アイルランド!に変わりはない。
また対岸に見えるディングルの美しさにも心を奪われ、飽きることのないエリア請け合い。ちなみにここはバスの通行はできないので、やはりレンタカーは必須だろう。のんびりサイクリングもいいかもしれない。
リングオブケリー~大西洋に浮かぶ絶海の孤島、「スケリッグ・マイケル」を横目に、美味しい空気と最高の絶景を堪能し、忘れられないホリデーとなったことに感謝したい。