ページ

2010年11月16日火曜日

☆Ireland Live Report :Cobh in Ireland: Final Stop of the Titanic!!☆




Posted by Picasa


日本の皆様、おはようございます。

今日は、いつかまた必ず訪ねたいと思っていたところに来れました・・・





コーブ 【Cobh】






アイルランド南部、コーク州の港町。大西洋航路の重要な中継港の一であり、19世紀半ばのジャガイモ飢饉(ききん)の際には、北米へ向かうアイルランド移民のうち、250万人を送り出す。また1912年に遭難した豪華客船タイタニック号の最終寄港地だったことで知られる。1849年のビクトリア女王の訪問を記念し、クイーンズタウンと改名したが、英国からの独立後に元の名称に戻った。




ここはすべてのアイリッシュドリーム出発地点


そして苦難のアイルランド墓標地点



人間として人間らしく、ただ生きるために



航路アメリカへ・・・・



しかし海流は激しく荒く



氷のような海面温度



多くのリスクを背負いながら


必死に新天地を目指した決死の地・・・






コーブの象徴
アイルランド初のアメリカ合衆国移民 アニーモア像


BIO

Was the first immigrant to the United States to pass through the Ellis Island facility in New York Harbor.



Moore arrived from County Cork, Ireland aboard the steamship Nevada on January 1, 1892, described in one account as her fifteenth birthday. As the first person to be processed at the newly opened facility, she was presented with an American $10 gold piece.


Moore was accompanied by her brothers Phillip and Anthony. Her parents, Matthew and Julia Moore, had come to the United States in 1888 and were living at 32 Monroe Street in Manhattan. She married German immigrant Joseph Augustus Schayer, an employee at Manhattan's Fulton Fish Market, with whom she had at least eleven children




フロンティアスピリッツの象徴・・・アニー・・・





いまや移動は航空にとってかわったが、アニーはその先駆者・・・


ボーイングの歴史も彼女がいなければ変わっていたかもしれない・・・







タイタニック号の最終寄港地/コーブ

(ヘリテージセンター)

映画「タイタニック」の公開後

日本人の訪問者も格段に増えたと聞く・・・

 




アイルランドで撮影された実際の「タイタニック」

このあと、帰らぬ船になるとは誰が予想できたであろうか?



国家戦略の幹とされたタイタニック建造

ベルファストのハーランド&ウルフ社建造

プロテスタントが優遇されカソリックは泥仕事ばかりという

「差別」という現実が存在した。

しかし労働者はみな、新たな世界への希望は強く持っていた・・・・






「移民」を決意する動機になった「飢饉」
 
惨状は想像を絶するものだった・・・

現代では「財政危機」で移住を考える人が増加・・・

アイリッシュよ、先人の知恵を生かせ・・・

 





タイタニック時代の「旅行かばん」





船ではひどい揺れと恐怖で精神状態は極限に達した・・・



















コーブを見守る大聖堂・・・・







聖コルマン大聖堂(コーブ) カトリックの魂・・・


 
  その美しさ・・・・
 
 
 




























「ほら、あれがニューヨークだよ・・・」







夏のコーブはヨットレースで世界のヨットが集まります。

色鮮やかな建築と海風は、葉山を想像させる湘南チックな景勝地です。





私の母はコーブの町で日本語翻訳家として働いていたキャリアを持ちます。



なぜ港町で日本語が必要なのでしょうか?

実は、ここは北大西洋で捕獲する遠洋マグロ漁業の基幹港だったのです。

つまり、日本の水産商社マン・漁業関係者が一同に集まる町だったのです。

しかし世界的な魚資源保護による漁獲高制限、乱獲による魚の減少、

さらには超人口大国・中国が豊かになり「マグロ」の味を覚えてしまったため

中国での消費量が激増、

結果、漁獲量が減少し、

入札で日本は札束攻勢で高値落札する中国勢に「競り負け」し

この産業は養殖へと移行、コーブの町はその「姿」も大きく変わりつつあるのです・・・



1998年には日本のマグロ漁船(石巻からやってきた遠洋漁業船)がコーク沖にて

「フロンガス」漏れを発生・・・

次々と船員が倒れ、6名が死亡

カソリックの教会には日本人の棺桶6体が並び

多くのアイリッシュ(我が家も)が弔問に行きました。

フロンガスの恐ろしさを世界に知らしめた大事件でした。



今でも、こちらでは日本人が「すし屋でまぐろに舌鼓みをうつ」姿が

ユーロニュースなどで放送されます。

・・・難しい問題ですね・・・













「ぼうや、あの海の向こうがアメリカなのよ・・・」

 

(Report: Toru Tazura INJ TOKYO 15NOV 19:57PM@Republic of Ireland Localtime)