ページ

2010年2月21日日曜日

☆セント・パトリックス・デー&シャムロック・・・その人物・パレード・歴史をもう一度おさらいしましょう☆ 

Posted by Picasa

Posted by Picasa



毎年3月の日曜日に、原宿の表参道はケルティック文化のお祭りでにぎわいます。東京のセント・パトリックス・デイ(St.Patrick's Day - 聖パトリックの日)パレードは、3000人を超える参加者と、5万人の見物客で、まさに日本の、最高の国際色豊かなイベントの一つです。この楽しさいっぱいのパレードは、アイリッシュ・ミュージックやダンス、ケルティック・アートやデザイン、日本中から集まった様々な参加者などに出会えるユニークな機会です。東京のセント・パトリックス・デイはまた、アイリッシュだけのイベントではなくなって久しいこの日に、アイルランド人、アメリカ人、イギリス人、日本人や、世界の人々と一緒に騒げる、国際交流の場でもあります。日本人のアイリッシュダンサーはフィドルやティンホイッスルに合わせてステップを踏みます。 " 聖パトリック " 自身がパレードを先導して、バグパイプ・バンドや、マーチング・バンド、すばらしいアメリカ軍軍楽隊、大学チアリーディング・チーム、インターナショナルスクール、そして動物好きにはアイリッシュ・セターとアイリッシュ・ウルフハウンドが続きます。そして様々な職業の人が参加するボランティアも、風船やバナーを持ってこの大きなパレードに参加します。


Posted by Picasa



セント・パトリックス・デイは、そんな多くを取り込んだインターナショナルなイベントになってしまったので、その起源や、どうして世界中で3月17日近くの週末なのか、そしてなぜグリーンの習慣がこのように世界に広まったかということを忘れがちです。'セント・パディーズ・デイ 'は伝統的には宗教的な祝日で、パレードではグリーンが中心的な色です。これは、アイルランドではグリーンは希望と自然、そして春の訪れを表すからです。3月17日は、伝説では異教のアイルランドをキリスト教に改宗させたといわれる人物、聖パトリックの命日なのです。実際、伝説の中の聖パトリックがアイルランドから蛇を追い払ったというのは、まさにそのことで、これは初期のアイルランドにおいて、異教の生活習慣や文化が終わったことを意味しているのです。


Posted by Picasa



このアイルランドの守護聖人である聖パトリックの初期の様子はほとんど知られていません。しかし、彼の生涯はまさに皮肉なめぐり合わせでいっぱいでした。中でも最も有名なのは、彼がアイリッシュではなく、ブリティッシュだったということでしょう。彼は少年の時にアイルランドの海賊に故郷ブリテンからさらわれて、6年の間、奴隷として強制的にアイルランドで羊の番をさせられたのでした。それは寂しく、恐ろしい体験で、そこで祈りと黙想に安らぎを見出したのでした。パトリックの本当の名前は全くアイルランド的ではなく、Maewyn Succat (マイウェン・サケット) と言いました。彼は後に聖職者となってから、もっとキリスト教徒的名前のパトリックに変えました。それはアイルランドからブリテンに脱出した10年後のことで、その後、ゴール (Gaul、ガリア - フランス)の修道院で12年間以上、教義を学ぶことになるのでした。

Posted by Picasa


伝説によると、このアイルランドから離れていた間、彼はアイルランド人を改宗させるためアイルランドに戻れという声に取りつかれたということです。彼のアイルランドの言語や現地人に関する知識は、彼を布教の指揮をとるのに適任者としました。60歳に達した時、彼は異教徒を改宗させる最終段階を監督するため、アイルランドに送られたのでした。一般に知られていることとは異なり、聖パトリックはアイルランドにキリスト教をもたらしたのではなく、むしろ、何十年か前に当時未開で危険な土地に降り立った勇敢な宣教師達の後を引き継ぎ、布教を完成させる仕上げを行ったのです。この聖人はこの新しい土地に宣教師として30年間住み、西暦461年3月17日に他界したのでした。
 

Posted by Picasa


そして更なる皮肉なこととして、聖パトリックの日の、パレードの習慣はアイルランドで始まったのではなく、アメリカ合衆国で始まったということがあります。イギリスの軍隊とともに兵役に従事していたアイリッシュの兵隊が1762年の3月17日にニューヨークの町を行進したのが始まりでした。この小さな始まりから、セント・パトリックス・デイ・パレードはしだいに大きくなって行き、今では、ニューヨークから、シドニー、モスクワ、東京まで、世界の主な大都市で祝われるまでになりました。中でもニューヨーク・シティーのパレードはどこよりもはるかに大きく、50万人以上がパレードに参加し、500万人以上の人が沿道やテレビでこれを見ます。




Posted by Picasa


東京の最初のパレードは1992年に行われ、参加者の努力とスポンサーのおかげで、他の聖パトリックの日のパレード同様、年々大きくなって行きました。そして、この日に古くから言われるように、「皆がアイリッシュ」となり、踊って、飲んで、笑って、このお祭りを楽しみます。それが世界中で楽しまれているセント・パトリックス・デイです。

2006 セナンフォックス記   2010改訂
Irish Network Japan All Rights Reserved.







Posted by Picasa



アイルランドのシンボル、「シャムロック」

 


アメリカ映画 「エリン・ブロコビッチ」を見ていたところ、ジュリア・ロバーツ演じる主人公、エリンがこう言いました。

「それ (廃液槽跡) は埋め隠されてるの。あんまり気をつけてやってないわ、だって表面を1インチでも掘れば土はシャムロックみたいに緑なんだから。」
" They've been covered over. And not too carefully, because if you dig one inch under the surface the dirt's as green as a f*****g shamrock."

この映画はジュリア・ロバーツが産業廃棄物で地域を汚染する、巨大企業に対する訴訟で奮闘する、実話に基づいた話ですが、この台詞は彼女がボスの弁護士に、汚染されて緑色になった土壌を説明するのに使った言い方です。エリン (Erin) はアイルランドの国名エール (Eire) が由来の名前で、そういうことを脚本家が意識してこのような台詞を入れたのかも知れませんが、シャムロックが「緑」の代名詞に使えるだけアメリカでは一般的なようです。 (ちなみに日本語の字幕では「掘り返せば汚染された証拠が出るわ」でした)

Posted by Picasa



アイリッシュパブなどでよく見かける3つ葉の植物はアイルランドの国花、シャムロック - Shamrock です。World Intellectual Property Organization (世界知的所有権機関) にアイルランドのシンボルとして登録されています。アイルランドの国章はアイリッシュ・ハープ (竪琴) なので、日本で言えば桜のようなものでしょう。シャムロックは、聖パトリックが布教に使ったということ以外は何も分からないので、探ってみることにしました。でも、日本の様々な百科事典を見てみましたが、シャムロックに言及するものは一切ありませんでした。これは手ごわそうです。





エメラルドグリーンの島





アイリッシュパブに限らず、ヨーロッパ、北米、オーストラリアでも、アイルランドとシャムロックはフランスとワインのように誰もが思い浮かべる関係です。オーストラリアと共にアイルランド系の人が多いアメリカでは、先の映画のようにグリーンはアイルランドの色として、シンボリックに祭りや映画などに出てきますが、3月17日のセント・パトリックス・デイにはグリーンを身に付けていないとつねられるといった遊びもあるようです。

 このアイルランドのシンボルカラーの緑もシャムロックが由来だと言われています。アイルランドはメキシコ湾暖流のおかげで一年を通して寒暖の差が少なく、積雪もほとんど無く、湿度が高いせいか芝が一年中青々しています。エメラルドグリーンの島と言われるゆえんです。そんな緑の島、アイルランドでシャムロックは簡単に見つかります。






シャムロックと聖パトリック

そもそもシャムロックがアイルランドのシンボルとなったのは、アイルランドの守護聖人、聖パトリックとの関係であると言われます。聖パトリックがキリスト教をアイルランドの人たちに布教する際に、三位一体を説明するために使ったということです。聖パトリックはシャムロックの3枚の葉をそれぞれ、父なる神、子イエス・キリスト、聖霊、に例え、それらが一つの茎でつながっていることを示して三位一体を説いたのです。しかしです。実際に聖パトリックがシャムロックを使ったかは不明な点があり、この話が文字として記録されている最も古いものでも、聖パトリックの死後1000年近くたっています。








特別な数字「3」

キリスト教がアイルランドにもたらされる以前からシャムロックはケルト人の魔術師で預言者的存在であるドルイド僧の間では神聖な植物だったようです。紀元前5世紀ごろから紀元前1世紀ごろまでヨーロッパに定住し、その後ローマ帝国によってアイルランドやウェールズなどの一部の地域に追いやられたケルト人。中でもアイルランドはローマ帝国の侵略を受けなかったためにケルト文化が色濃く残りました。謎の多いケルト人ですが、そもそもそのケルト人の間では 「3」 という数字は特別な数字でした。



そういった 3 への信仰を物語っているものにケルト神話の三組神 (Triad - トライアッド) があります。これはケルトの神々がしばしば三体で一組の神となるというものです。例えばケルト神話に出てくる戦の女神モリガン (Morrigan) は、バドヴ (Badb)、マハ (Macha)、ネヴァン (Nemain) というかたちで神話に登場します。同じように女神ブリギド (Brigind) は、詩文の才、治癒、鍛冶という三つの要素を司っています。女神マトレス (Matres) は赤子を抱いたもの、産衣持つもの、哺乳瓶を持つものといった三様の形があります。また、ケルトの信仰の対象であった人頭ですが、カウンティー・キャヴァンで出土した石の頭には三つの顔があります。



その他、アイルランドの神話・伝承には3人の兄弟や息子、3つの頭の怪獣などがよく出てきます。ケルトの詩や物語では、数を記すときに 3つの20 や、3つの50 と、3組で表現することが多くあります。また、装飾でも 3 はよく見られます。発掘された銀製の釜に3頭の牡牛、3人の戦士の浮彫りがあったり、貨幣に3つの顔が刻まれていたりします。3本の角を持つ牡牛の彫刻が発見されたりもしています。マン島の三脚の紋章(三脚ともえ紋)はケルトが起源と言われています。




そんなケルト人にとって呪術的な意味を持つ、3 という数の葉を付けたシャムロックは、まさに神聖な植物だったのです。






アイルランドではキリスト教が流血を伴わず布教された場所でもあります。アイルランドでの布教は土着の信仰を尊重する形で行われました。聖パトリックが、古代から人々が既に持っていた信仰になぞらえ、シャムロックを使って三位一体を分かり易く説明したとしても不思議なことではありません。その後シャムロックはその意味合いが変わってゆきます。17世紀にはアイルランドでは、イングランドによってアイルランド語とカソリックの信仰を禁止され抑圧された状態に対するナショナリズムの表現として、シャムロックを身に付けることが行われたりもしました。その弾圧下19世紀には身に付けることで捕まり処刑されることもありました。


アイルランドを出ると!?

こんなシャムロックがアイルランド島を出ると不思議なことがおこります。例えばアメリカに行くとアイリッシュとの関連イベントに4つ葉のクローバーをたまに見かけます。そもそも4つ葉のクローバーは見つかりづらいということから縁起の良い幸運のシンボルとなっていますが、調べてみてもシャムロックとの関係を示す資料は見つかりませんでした。シャムロックがアメリカに渡って他の習わしと混同されたのでしょうか。




また、スコットランドのプロ・サッカーリーグにグラスゴーを本拠地とするアイルランドで最も人気のある、セルティック(The Celtic Football Club)というチームがあります。もう一つのグラスゴーのチームでライバルにレンジャーズがあり、両者が対戦する試合は「オールド・ファーム・ダービー」としてすごい盛り上がりになりますが、このセルティックのシンボルも4つ葉です。プロテスタントのレンジャーズに対抗してアイルランド系の人たちが作ったカトリックのセルティックは、アイルランドとのつながりが強いチームですが、なぜか4つ葉です。これはもう少し調べてみないと分からない謎です。





Posted by Picasa


シャムロックはどの植物?

シャムロック - Shamrock (Seamróg) - とはアイルランド語で、若い牧草(クローバーなど)を意味します。ちなみに、クローバーの語源を調べると、ローマ神話の英雄ヘラクレスが持っていた棍棒に三つこぶがあり、クローバー (ツメクサ) の形がその棍棒に似ていたので、ラテン語で棍棒を意味するクラバ(clava)がクローバーに変化したそうです。つまりシャムロックとは語源が違うのです。

ではいったいシャムロックはどの植物を指すのでしょう。シャムロックを英語圏の百科事典で調べると、

wood sorrel ( Oxalis acetosella コミヤマカタバミ)  [カタバミ科 カタバミ属]、
white clover ( Trifolium repens シロツメクサ)  [マメ科 シャジクソウ属]、
suckling clover ( Trifolium dubium コメツブツメクサ)  [マメ科 シャジクソウ属]、
red clover ( Trifolium pratense ムラサキツメクサ)  [マメ科 シャジクソウ属]、
black medic ( Medicago lupulina コメツブウマゴヤシ)  [マメ科 ウマゴヤシ属]、

とあります。結局、一本の茎から3つ葉が出ている植物は何でもシャムロックになってしまうようです。シャムロックとは3つの葉をもつ植物をモチーフにした装飾デザインで、特定の品種を指してはいないようです。まあ、そのほうが神秘的です。アイルランドだけに人知れず生えている植物かも知れません。なお、アイルランドのお土産店で見るシャムロックの押葉や、お土産用の種から生えて来るシャムロックを見ると日本で3つ葉として連想するものよりも小ぶりのようです。



シャムロックはあちこちに

今ではシャムロックは宗教色も薄れ、アイルランドのシンボルとして欧米では広く知られています。アイルランドのお土産屋さんにもシャムロックがたくさん並んでいます。いろいろなものにモチーフとして使われています。


サッカーの国際試合では北アイルランドとアイルランド共和国はそれぞれチームを出していますが、ラグビーの国際試合では伝統的にオール・アイルランドとして北アイルランドとアイルランド共和国とで合同チームを作って出場しています。そこでチームのシンボルとして使われているのがシャムロックです。ちなみにUKの中で、北アイルランドのシンボルもシャムロックです。アイルランドの国営航空会社、エアリンガス(Aer Lingus)は大きなシャムロックを尾翼につけています。これがアメリカに飛んで行けばアイルランド系の人たちはアイルランドに行きたくなるのではないでしょうか。日本とアイルランドの間には直行便が無いので、エアリンガスには頑張ってもらい、日本にシャムロックを運んできてもらいたいものです。




結局、2,500年以上もアイルランドの歴史をさかのぼることになりましたが、シャムロックは思った以上にアイルランドにとって特別なシンボルでした。これでシャムロックの謎が少し解けました。今度、友人とセント・パトリックス・デイ・パレードを見るときや、パイントの上に描かれたシャムロックを味わうときは、ケルト人と聖パトリックの神秘について、少しうんちくを披露してみると話が盛り上がるかも知れません。

2005年 Samon記 2010改訂



Irish Network Japan  All  Rights Reserved





Posted by Picasa